Maishin

ADHDワーキングマザーの子育て自分育て

発達障害の親は救えない…本『子は親を救うために「心の病」になる』の感想

表紙

こんにちは! くずなつ (@kuzunatsu)です。

私は、発達障害だと思われる父から暴力を振るわれて育ち、20代中ごろをメンヘラとしてすごしました。

10年以上経ちましたが、その時期の精算がまだ終わっていない気がして、タイトルが気になったこの本を手に取りました。

『子は親を救うために「心の病」になる』です。重すぎるタイトル。

今回は、発達障害の親に育てられた子どもの立場からレビューします。

著者の紹介

著者は、高橋和巳さんという精神科医の男性です。都内でクリニックを開業されているそうです。

精神科医にはめずらしくカウンセリングに力を入れている方で、カウンセリングをテーマにした著書が複数あります。

鋭い分析ですが、愛のある優しいまとめ方で読みやすい文章を書かれる方です。

本の構成

全5章で、1章ごとに1人のカウンセリングがまとめられています。

  • 1章:子の引きこもり
  • 2章:子の摂食障害
  • 3章:親から子への虐待
  • 4章:親が発達障害

1、2章は親がマトモなのでハッピーエンドです。3章も、モヤモヤする感じはありますが一応良い方向です。

4章が気になりますよね?

4章ははっきり言って、親が発達障害と思われる私には救いがなく感じられました。でも、現実だと思うので、4章を紹介します。

内容紹介

うまく生きていけない

4章の相談者は、会社員の恵子さんです。

「何か、うまく生きていけないんです」

と訴えます。でも、著者にはよくわかりません。

彼女の訴えは、フワフワととらえどころがなかった。苦しいとか、悲しいとか、痛いとかがない。

さらに続く恵子さんの悩み。

「私の劣等感は、『普通じゃない』ということです。人と違う自分が怖い……。」

わかる感じになってきました。

仕事はミスしないようにいつも緊張しています。普通にできるように、こうしていれば普通、と思って平気になるように緊張してきました。

「普通」を追い求めて生きているけれど、自分が「普通」ではないことに気がついている。それが苦しい。

母親の奇行

話は、恵子さんの母親の話になります。

「母親は、人の気持ちを察することが出来ないんだろうと思ってきました。『いつも自分は悪くない、悪いのは全部周り』で……、反省するということがない人でした」

いくつかエピソードが出てきます。

  • 理由がわからないが突然怒る
  • 彼氏とのドライブに着いてきた
  • お葬式での失礼な発言

私は、父に電話を盗聴されたことがあります。ベッドで寝ている夜中に怒り狂った父に殴られ起こされたこともあります。被ります。

著者は恵子さんの母親は発達障害だろうと考えました。

親が発達障害の場合の問題

親が発達障害の場合の子育ての分析が続きます。

衣食住の世話はしてもらったが、精神的なケアを受けることが全くなかった。つまり、褒められたり、叱られたり、甘えさせてもらったり、厳しく教えられたり……という親子の交流がなかった。それが、心の成長に致命的な「傷」を残した。

致命的な「傷」。

毎日、子どもは母親の反応をみる。それを基準に自分を知る。自分はいい子であるか、悪い子であるか、そういう自分がわかる。しかし、恵子さんには、母親のポジションをとってくれる人がいなかったので、彼女は自分はいい子なのか、悪い子なのか、上手くできたのか、できなかったのかがわからなかった。彼女は自分が誰なのかを確認できなかった。

親が社会の共通の理解、つまり「普通」を教えられないので、子どもも「普通」がわからない。自分がどんな人間なのか、ここにいても良いのか、わからなくなってしまう。

致命的な「傷」は回復しない

恵子さんは、悲しい結論にたどり着きます。

「自分が無条件にここにいていいという実感が持てません。『みんなと一緒』がないんです。でもそれが自分の努力では埋まらないと分かりました。」

「何も解決しないことが分かりました」

親と話し合ってもムダで、わかってくれることはない。むしろ責められたと受け取られて攻撃されてしまう。

自分が『みんなと一緒』に「普通」になるのも無理で、問題がわかっても解決できない。

傷は傷のまま現実をただ受け入れるしかないんです。

この本のタイトルは『子は親を救うために「心の病」になる』だけれど、子は発達障害の親を救うことはできないという結論になっています。

発達障害の親は変わらないし変えられない。諦めるしかない。

どう生きていくか

恵子さんは、親も、社会の中で生きていくことも諦めて、あるがままの「存在」に従って生きていくという決断をします。

むずかしい言い回しですが、「普通」にこだわらずに自分の気持ちに正直に生きるという意味のようです。

「普通」がわからないのに「普通」に生きるには、知識だけの社会適応をしないといけない。それは苦しい。

でも、個人的な感想としては、社会で生きていくためには知識だけの社会適応を続けるしかないと思うんですよね。そうでないと会社勤めはできないように思います。

現実がわかった分、悩んでいた時期よりは楽になったかもしれません。でも、結局ムリしていくしかないような気がしています。少なくとも私はそうだな。

まとめ

子は発達障害の親を救うことはできない。発達障害の親は変わらないし変えられない。諦めるしかない。

重いし救いがないですよね。そこまで割り切るのはものすごく大変です。

私の場合は、発達障害なのは父なので、この本のケース(発達障害なのは母)よりは多少マシだったのかもしれません。それでも割り切れたと感じたのは30歳を越えてからです。

その前に「私が生きているのは悪いことじゃない」と思えるようになったり、いくつかの段階がありました。

ちなみに私の父は、「完璧な子育てをした良い父親」と自己評価しているそうです(母情報)。自分が見えていませんね。

これを私に伝えた母にも問題があるよね。その辺りは現在進行形で分析中です。私は母を乗り越える必要がある気がしています。

精算ができていない部分はまだまだありそうです。

最後に。

私個人の考えとしては発達障害があっても自覚があれば変わることができると信じています。

自覚なく歳をとったら、子どもに指摘されても素直に認めることはできないという話なんだと信じたいです。

ADHD当事者が考えた『子どものころにやってほしかった』こと

考える こんにちは! くずなつ (@kuzunatsu)です。

「親からはもっとこうしてほしかった」的な目線で書いていただけると嬉しいです

というコメントを、中学生の娘さんをお持ちのお母さまからいただいて、いろいろ考えていました。

ハッとしたこと

わたしは発達障害があって毒親に暴力を振るわれて育ったわりには、よくできた人生を歩んでいる方です。

大学院を出て、正社員で就職して、結婚して、家を買って、子どもを産んで、復職して……超氷河期世代なので、職場関連以外の知り合いにはほとんどいません。

つまり親が私を育てた方法は間違いだと言い切れないことに気づいてハッとしました。

人生万事塞翁が馬というやつですね。

※ 塞翁が馬(さいおうがうま) というのは「人生での幸不幸は予測できない」という意味の中国の話で、私が就職したてのころに希望の配属ではなかったのをグチった人に言われた言葉です。

塞翁が馬だったこと

今そこそこうまくいっているのは、私個人の特性や能力、環境や運などがハマったもので、一般化はできません。

ムリヤリ一般化できそうなのは、社会に出る前にたくさん失敗したことくらいでしょうか。

わたしは先が読めないので、失敗したことからしか学べません。これはADHDの特性だと思います。

うつ病での留年などの挫折なしで社会人になっていたら、社会人の最初の失敗で退職していたかもしれません。

でも、必ず立ち直れるとは限らないので、たくさん失敗させることをオススメする気にはなれません。

できればやってほしかったこと

ADHD傾向の強い本人が、自分ではたどり着けないだろうことがひとつ思い浮かびました。

人との約束の大事さを叩き込んで欲しかった

ADHD傾向が強いと短期的な記憶力がないので、人と約束をした次の瞬間に忘れてしまいます。

ちょっとした約束を何度もすっぽかして人を雑に扱うので、人から雑に扱われるようになります。

恐ろしいことに、興味があることだけは覚えているので、自分の利益だけを考えている人に見えます。

指摘されても、話しているうちに目的を忘れてしまうので、あやまれずにヘラヘラしたり変な言い訳をして逆ギレしてしまいます。

これは小さな頃からの当たり前なので、おそらく自分では気づけません。周りが自覚させるしかありません。

わたしがどうやって気づいたか

さらに進むと、周りが全部悪いと思い込んで他責的になったり、「ハイハイ私が全部悪いんです」と思考停止してふてくされたりします。

嫌われているのには気がつけるので、うつ病などの二次障害になります。認知の歪みが原因なので、自覚しないと抜け出せません。

私は社会に出る直前に、目上の社会人から一時間ほど叱られる機会があって気づけました。

叱られたというか、原稿の締め切りを破ってヘラヘラしていたわたしに、これまでわたしがやってきた無責任な行動の悪影響がおよぶ人の範囲と、その一人一人がどういった被害を受けるのか説明され、言い訳を全て論理的に叩き潰されたのです。

ここまでやってもらわないと、自分がおかしいと気がつけなかったのです。

人からどう見えるか教えて欲しかった

では、具体的にどうするかという話。

小さなころから『今の行動が人からどう見えるか』と『そういうときどうするのか』を教えてもらいたかったです。

発達障害者は、自分を客観視するのが苦手で空気も読めないので、人付き合いはパターンとして覚えるのが基本です。ソーシャルスキルトレーニングの話です。

ただ、中学生くらいだと、親から指摘されて素直に聞けるかというとむずかしそうです。メンター的な人(信頼している部活の先輩や、塾の先生など)からなら聞けるかもしれません。

こういう本を目につくところに置いておくのも良いかも。簡潔だし漫画なので読みやすいです。

でも、ASD傾向が強いADHD併発だとすると、習ったルールを守らない周囲への怒りが出ると思うので、先に特性をはっきりさせた方が楽かもしれないです。

人からは逃げられない

親がするには難しいことを書きましたが……。

どんな進路を選んでも、人の繋がりからは逃げられません。

悩みは対人関係から発生するものが多いのでみんな悩み続けるしかないですが、人間関係について「自分で考えなさい」と言われてもわからないのが発達障害。

考えてもわからない人に『今の行動が人からどう見えるか』を伝えるためには、当たり前すぎて言葉にしないことを言葉にする必要があります。超めんどくさいです。

人付き合いのパターンが蓄積されると、ちょっと変わってるけど悪い人じゃない(積極的に嫌がらせされない、本人も周りに無理に溶け込もうとしない)くらいの位置に収まることができて、生きていくのが楽なんじゃないかなと思います。

子供のころにソーシャルスキルトレーニングをうけたかったなぁ。人付き合いは経験で上手になるので、結局そこなんだと思います。

『頑固・屁理屈・柔軟性がない』とADHD傾向の人が職場で言われたときの理由と対策

『頑固で柔軟性がない』『屁理屈』『納得しないと動けない』などと言われたことがありますか?

私はあります。

当時はまだ就職して間もない時期で、指示されたことを何でもやろうと意識していたので、指摘してきた人がなぜそう感じたのかすごく不思議でした。でも理由を聞いたらもっと怒られました。

色々思い返す機会があったので、何がそう感じさせていたのか、どうすべきだったかをまとめておきます。

当時の状況

当時は、一番最初の上司の下で働いていた、まだ新人扱いの時期でした。

私は面接のときに言われた配属先ではなかったので、何がわからないのかわからない状況でした。

職場だとExcelとWordが主ですが、その使い方がまずわかりませんでした。出張などの管理システムも独特で見たことのないものでした。

自分が社会性が低く一般常識がないことはわかっていたので、仕事術の本などを読み漁って追いつこうと必死でした。

本やネット上の知識から『5W1Hを明確にする』のは当たり前だと思っていました。いや、これは今もそう思っています。

「この図を作ってくれ」に「はい、わかりました」と答えたあと、何のプロジェクトのどこに出す資料に使う図なのか、締め切りなどを質問していました。とにかく理解した上で進めたかったんです。

負担の大きい聞き方をしていた

どんな聞き方をしていたか、もっと単純な話にして、コピーを依頼された場合で説明します。

  1. 原本はどれか
  2. 予備も含めて何部必要か
  3. いつまでに欲しいのか
  4. 両面か片面か
  5. ホッチキス留めはどこにするか

このくらい説明があれば新人でも動けるはずですね。

当時の私が動くのに必要だった情報はもっと多かったです。こんな感じ。

何月何日の何の会議に使う資料だから何日の何時までにコピーして欲しい。誰が来るから何部必要で、紙の節約のために両面で、開きやすいように左上に斜めにホッチキス留めしてね。

めんどくさっ。

上司と上司の秘書さんは、私が仕事をやりたくないから断る理由をつけるために聞いてくる、非常に反抗的な態度の生意気な新人だと思っていたそうです。

↑これを直接聞ける仲になれたのは奇跡です。

「普通の人」は「そういうものだ」で動ける

私が動くために必要な情報が、普通の人たちとは違ったというオチです。

この情報の中で、私にとって特に重要なのは太字部分です。

何月何日の何の会議に使う資料だから何日の何時までにコピーして欲しい。誰が来るから何部必要で、紙の節約のために両面で、開きやすいように左上に斜めにホッチキス留めしてね。

そう、目的と理由の方が重要なんです。むしろ何部とか両面とかの細かい指示がマイクロマネジメントに思えます。

普通の、いわゆる定型発達の人たちは理由がなくても何となく動けるんですよね。それが空気が読めるとか、自分で考えて動けるということです。実は考えていないのに。

理由や目的を聞くのは、普通の人たちにとって「反抗的な態度」に見えます。

ADHD傾向が強いと、衝動性を抑えたりやる気を出すためには、全ての行動にひとつひとつ筋の通った理由が必要です。

また、興味のあることしかできないので、目的がわからない指示には興味が持てず、苦痛です。

目的がわからない指示をもらうと、優先順位がつけられないことと興味が持てなくて先延ばししてしまうことの相乗効果がおきて、普通の人から見てメチャクチャな動きをします。しかもつらい。

でも、理由の説明を普通の人たちに求めると露骨に嫌がられるのです。普段言葉にしていない部分を言葉で説明するのは負担が大きいことで、必要性も理解できないため、嫌がらせをして反抗しているように見えるからです。

どうすべきだったか

完全に普通に振る舞うための「正解」は、ADHDの私には判断がつかないので、今どうしているかです。

「確認する」のが「ゼロから聞く」より正解に近いです。

書くと当たり前になってしまうのですが、できる限り情報をつなぎ合わせて、自分が今何に巻き込まれているのか知っておくということです。

雑談の中で細切れに聞いていることも多くて、でもそこから目的や締め切り、それぞれのプロジェクトのつながりなどを察することができていませんでした。

説明済みなのに何でまた説明させられるのかと上司が感じた場合も多かったでしょう。

「何のためですか?」ではなく「あのプロジェクトのこの会議の資料ですね?」と、はいかいいえで答えられる形で確認することで相手の負担を小さくできます。

私が具体的にどうしているか

私の職場では、部のマスタープラン、課の年間計画、ほとんどのプロジェクトの仕様書は平社員でも見ることができます。

一年ほど経って、私がプロジェクトを立てられる立場になってからこの説明を受けてガックリしました。

※ おそらく「新人だからまずは目の前の仕事を覚えさせよう」と上司は考えていたのでしょう。逐次での目的のない指示は、私の負担を減らすための心遣いだったのです。私はつらかったけれど。

これを知ってから、自分が関わる全ての計画を並べて、自分の仕事のひとつひとつがそれぞれの計画のどこに位置するのか書き出すようになりました。

毎日更新することで、自分に関わる周囲の人が動いている目的や、今日誰が何の締め切りに追われているのかを把握できるようになりました。

最初のころはコピー用紙をつなげて巻物を作っていたのですが、変な目で見られるので、TaMa5というWindowsソフトを使うようになりました。もちろんExcelでも良いし、今ならBrabio!などのガントチャートのwebアプリを使うのも良いと思います。

全ての職場に適用できる方法とは全然思いませんが、可視化することで見えるものはあります。

面倒だけれど、周りとやっていくには負担は自分が負うしかありません。

まとめ

文章を読んでおわかりのように、私は何をするにも筋の通った説明が必要で『頑固で柔軟性がない』『屁理屈』『納得しないと動けない』と言われても認めるしかないめんどうな人です。

どんなに望んでも空気に操ってもらえないので、「普通に働く」には普通の人には必要がない手段で埋め合わせる必要があります。

ここで書いた今の方法はまだ力技で、手間と時間ががかかります。時間がかかる分、仕事が人より遅くなるというデメリットがあります。

気づいて分析することができれば、埋め合わせられる一例でした。もっと良い方法はありそうですね。

それでは!

怒ったことに後悔しないための本「怒らない伝え方」の紹介

手持ちの本の画像

こんにちは!くずなつです。

自分の怒りや人の怒りに振り回されて、余計なことを言って後悔することがありますか?

カチンときたときでも、伝え方を工夫すると自分も相手も嫌な思いをしなくてすむ。そんな伝え方の入門本の紹介です。

AD(H)D傾向が強くて感情があふれがちの方でも、伝えないで我慢して爆発するより、小出しに伝えた方があとに引きずらないので試してみる価値があります。

著者の戸田久美さんは、日本アンガーマネジメント協会の理事で、コミュニケーションをテーマにした研修や講演を行っている方だそうです。伝え方のプロですね。

最近読み返してすごくしっくりきたので、印象に残ったところを紹介します。

怒るのは悪いことではない

まず最初はコレです。

怒ることに罪悪感をもってしまうのは
1 怒ること=恥ずかしいこと、と教育されてきた人が多いから
2 怒ること=悪いことという経験をたくさんしてきているから
(p.26)

実際、強い感情をそのまま出す人はイヤがられます。面倒な人子どもっぽい人と避けられます。それが分かるから感情を出さないように自分を訓練していくことになります。

そのまま何年もがんばっていると、自分の感情がわからなくなります。

湧いてくる感情をどう扱えばいいのか、そしてそれをどう相手に伝えればいいのか、方法を知らないから、戸惑ってしまうのです。(p.8)

怒ることは誰でも当然あることです。でも伝え方がわからないまま溜めこむと、ある日とつぜん爆発して、ドン引きされてしまったりします。

大切なのは、

怒ることと怒る必要のないことを区別すること!
怒らなければいけないことはきちんと怒り、怒る必要のないものは怒らずにすむようになること!(p.26)

です。怒るのは悪いことではないのです。

怒りとは何か

怒りは、自分の期待、理想が裏切られたとき、そのとおりにならなかったときに生まれる感情(p.29)

「普通はこうするよね?なんでできないの?」「こうするのが常識だろう!」と怒られたことがありますか?私は何度もあります。

その人の中の「普通」と私の「普通」が違ったから、相手は怒っているわけです。

逆もあって、以前は周囲にたいして「私をバカにしている」と感じて何度も怒ってきました。

おたがいに相手に期待しているのですよね。しっかりとした別々の理想があるんです。

私は「普通」がわからなくてずっと悩んできましたが、アラフォーの今の結論は、「普通は人によって違うから伝えてくれないとわかりません」です。

これ、私が発達障害だからとあんまり関係ないよ。この本は非発達障害の人たち向けの本なので、みんな悩んでいるんです。

話し合えればおたがいの理想に歩み寄ることができます。そのために反発されない伝え方は重要です。

怒らない伝え方

ポイントが10個ありますが、抜粋します。

2 自分の本当の気持ちを言葉にする(p.73)

怒りのウラには、自分の期待や理想が裏切られて悲しいといった、本当の気持ちが必ずあります。怒っていると伝えるより「悲しかった」「さみしかった」と素直に伝える方が響きます。

4 注意するときは、何がどう変わって欲しいのかを具体的に伝える(p.75)

「普通」「常識」といった人によって違う言葉を基準に使わないということです。

例えば、以前私がバカにされたと感じた状況なら「普通こういうときに何も言わずに無視する?」と責めるのではなくて「こういうときはありがとうと言って欲しかった」と言えば良かったということです。

5 「私はこう考えています」という言い方をする(p.76)

「みんなそう思ってる」と言われたら、責められたと感じると同時に「みんなって誰だよ」と疑心暗鬼になってしまいます。

「私はこう思った」という言い方だと、責められたと感じにくく、思ってもみない受け取られ方をしづらいです。

人にバカにされたと感じたときにどうするか

例として挙げるには重いかもしれません。

自分に自信がないと「人にバカにされた」と感じる機会は増えます。

発達障害があると周りとくらべてできないことが目立って指摘されやすいので、さらに増えます。

こういうときに怒らずに伝えるためには、自分が「バカにされたと感じて怒っている」ことに気づけるかが重要です。

また、相手のどの発言をバカにされたと感じたか、相手にどう変わって欲しいのかまで自分で考える必要があります。自分の理想の状態は自分にしかわかりません。

とても負荷の高いことです。いきなりその場ではできません。でも、自分にとってすら負荷が高いことを相手に察しろというのは無茶です。

そのため最初のころは、具体的にはこんな感じになると思います。

1 何度か相手の発言にモヤモヤする。でも流してしまってモヤモヤが続く。
2 自分は相手に怒っているんだと気づく。
3 相手のどの発言に自分が怒ったのか考える。
4 指摘するかを決める。
5 伝え方を決める。
6 頭の中で何度もリハーサルする。
7 実際に同じ状況になったら、言ってみる。
8 言い方が良かったか考える。

ちなみに、この本には状況別でたくさんの伝え方が載っているので参考になります。全く同じ状況があればそのまま試してみると、怒ったときとは違う反応が返ってくるのがわかるはずです。

例えば、こういうの。

自分から謝ろうとしない相手に、意見を伝えたい(p.168)
× 「あなたの言っていることはおかしいですよね!?」
○ 「○○さんは、そうお考えなのですね。私としてはこう考えています」

批判する必要はなくて、あなたの考えはあなたの考えとして認めるから私の意見も聞いてね、ということですね。

ここからこじれたら。

明らかに相手が過失を犯したのに謝ってこない(p.169)
× 「なんでそっちが悪いのに謝らないんですか!?」
○ 「このことに関しては、ひと言、お詫びが欲しかったんです」

責めると反撃されるだけなので、伝えたいことだけを反撃されないように伝えるということですね。

ちなみに、脳内リハーサルした場が回ってくると、結構うれしいですよ。

個人的な感想

本質を理解して自力でやるのはむずかしい

最初に読んだときはなるほどと思って、マニュアルとして参考にしていましたが、実はあまり飲み込めていませんでした。

感情を大事にすることについて深く理解できたのは、産業カウンセラーになる勉強をはじめてからです。基本中の基本としてたたき込まれます(笑)。

自分が怒っている理由を言語化するのはむずかしいことです。そもそも怒っているのに気づくのがむずかしいときもあります。

「私の考える理想の通りに相手が動いてくれなかったから私は怒っている」と認めるのは、自分の考え方のゆがみを直視することになるので、すごく痛いです。

「私は正しくて、相手がおかしい」と相手を責める方が楽なんです。

そういった考え方は言葉や態度に出るので、相手も自分は間違っていないと主張せざるをえなくなります。相手も自分がおかしいと認めるのは痛いからです。

こういった言語化はカウンセラーの専門領域なので、カウンセラーに相談できると自力でがんばるよりスムーズです。指摘の強弱も気をつかってくれるし(←ココが今の私の課題です)。

自分の機嫌をとる方法をいろいろ試してみよう

みんな感性が違うし、どんな方法が合うかはやってみないとわかりません。

でも、溜めた怒りを爆発させたら後悔するし、爆発させた相手とはうまくいかなくなります。

自分の機嫌を自分でとれるのは大事です。

怒りが生きる原動力になることもあって、私もそうしてきたので、使い方次第でもあるのだけれど。

ストレス少なく生きていくためにも、自分の機嫌を自分でとれるようにいろいろ試してみて損はないです。

私もいろいろ試してきているので、紹介していきますね。

それではまた!

春のパン祭りのお皿はモラハラ夫を持つ母を救っていたのかもしれない

去年の春のパンまつりのお皿

こんにちは! くずなつ (@kuzunatsu) です。

春のパン祭りの季節です。ご存知ですよね?パンにはってあるシールを集めて、白いお皿をもらうヤマザキパンのキャンペーンです。

これがはじまると毎年思い出すことがあるのでまとめてみます。両親のことです。

私の父はモラハラだった

私が父のストレス解消用サンドバッグだったことはときどき書いていますが、母にはモラハラを沢山していました。

具体的なことは沢山あるのですが、一番は母を専業主婦にしていたことです。

あっ、専業主婦がみんなモラハラを受けていると言っているわけじゃないよ。なりたくない人に強要したのがモラハラということです。

私の母は、家族の成果を自分の成果と思えない人です(私もそうです)。

夫がよい仕事についていることや子どもの成績がよいことは母がどれだけ貢献していたとしても母の満足につながりません。

母自身が社会に直接認められたかったんです。

時代背景的には、夫が妻に専業主婦になってくれという話はよくあったことだと思います。でも、自分が働くことで社会に評価されたい女性にはつらいよね。

父の決めゼリフと「節約」

父がよく言っていた決めゼリフがあります。

誰が食わせてやってると思ってるんだ」です。

自分の希望で妻を専業主婦にして子どもを作っておいて何を言っているのだと、自力で食べられる今の私ならつっこめますが、当時はつっこんだら多分死ぬので黙るしかありませんでした。

「じゃあ自分で自分の生活費を稼ぐようになろう」と子ども心に思っていました。

当時、父はそこそこの年収がありましたが、山を衝動買いしたり、株で損したりして余裕はなかったそうです。当然生活費への締め付けがありました。

ここでやっと春のパン祭りにつながります。

実家で使っている食器は、春のパン祭りと100均のものばかりでした。

割り箸を洗って再利用していたし、家は床がフワフワで抜けそうだったし(シロアリ)、貧乏なんだと思ってたけれど、父が目につく範囲で「節約」を指示していたようです。

ちなみに離婚は、子ども(私以外)が泣いて止めました。私は賛成した記憶があります。私だけがサンドバッグだったので。

春のパン祭りのお皿の思い出

春になると、母がシールを集めて白いお皿をもらってきました。

母がそういうのが好きなんだと思っていましたが、たんに買うお金がなかったようです。

家族の人数分のお皿がもらえるだけのシールを期間内に集めるのは無理なので、毎年2〜3枚ずつ違うデザインのお皿が増えました。

ちなみに、春のパン祭りのお皿は今みたいにシンプルではありませんでした。100均のお皿もシンプルではなかったです。花柄のポットや炊飯器が家に残っていた時代の話です。

家族でテーブルについたときのそれぞれの食器は、にぎやかなデザインでバラバラでした。

それが当たり前だと思っていたけれど、母は同じお皿を人数分そろえたかったと大人になってから聴きました。

母にとっては、ちゃんとした食器を買いたくても怒られるだけで買えなくて、怒られずにそれなりの食器を手に入れる手段だったのです。

なんだかすごく悲しいと思ってしまいます。

でも、私の母のほかにも、モラハラ夫を持った妻には春のパン祭りをたよっている方がいそうです。生活必需品が抽選ではなくて必ずもらえるのは、ありがたいよね。

春のパン祭りは福祉なんだ……!(考えすぎ)

母は一番下の子どもが小学校を卒業したあとに父に反抗して働きはじめました。専業主婦のあいだに独学で資格を取りまくったのが役にたったようです。父は勉強することには反対しない人なので、そこが唯一のスキだったのです。

思い出すキッカケ

なぜ毎年そんなことを思い出すのか。

私の夫がシールを毎年集めて、一枚だけお皿をもらってくるからです。こういう全員プレゼントが好きなようで、パスコのトートバッグも毎年もらってきます。

私も雑誌の全プレが好きだったので、気持ちはわかります。

でも、一枚だけのお皿は収納しづらいし使えないのに、喜んでいるから捨てづらいです。たまに夫の食器として使います(通じないイヤミ)。

今年も集めているのを発見してしまいました。しかもお皿1枚分貯まってる!

春のパン祭りのシール台紙
24ポイントでお皿が1枚もらえるよ!

まぁ、こういうのをネタにする程度には笑っているので、場所をとられる以外は大した問題ではないです。

ちなみに、母は60代の今も専門職としてイキイキと働いています。父は定年退職してからわりと穏やかな雰囲気になりました。父はもとから話ができないし生活能力もないのでボケても誰も気づけなさそうですが、今の方が幸せそうです。

現役中はおそらく、大黒柱であることがつらかったのだと思います。

それで子どもに暴力を振るうのが許されるかというと全然別の話だけれど、状況は想像できます。

夫にしか話したことがない本当にどうでもよい話で、まとめてみた私がビックリでした。

それではまた!

素直に言葉にした方が伝わると2歳児に教えられた話

こんにちは! くずなつ (@kuzunatsuです。

最近、2歳の娘が超かわいいです。

イヤイヤ期真っ最中なので、地面に転がって泣いたりしますが、それ以上に片言で会話ができるようになったのが大きいです。

産まれてはじめてのダジャレは、「パパは家にいるよ」と伝えたときの「パパ!イエ!イェーイ!!(笑顔でバンザイ)」でした。

かわいいでしょ。

娘の可愛さが人知を超えた(当親比)

まだ続けます。

少し前から、私に向かって両手を広げて「ママ、ダーシュー」って言いながら抱きついてきていたんです。

私が鈍すぎて何を言っているのかピンとこなかったのですが、何度目かでわかりました。

「ママ、大好き」だ。

気づいたときは鳥肌が立ちました。

「ママも(娘)ちゃんが大好きよ」と答えて抱きしめました。

それから数日して「ママ、ダーシュキ、パパ、ダーシュキ」に進化しました。

パパはもちろん目尻が下がりまくって「パパも大好き!」と抱っこしていました。

なんだこの可愛い生き物は!

あれ?私も夫も言ってない

私は娘に、できる限り自己肯定感が育つような言葉を掛けてきたつもりです。

夜、一緒の布団に入ったときに「産まれてきてくれてありがとう」「パパとママの子どもになってくれてありがとう」と毎日言ってきました。

でも、思い返してみると、「大好き」ってあんまり言わなかったなと思って。

夫も、むしろ私が育児を手伝っているのかも?と感じるくらい関わってくれていますが、「大好き」と言っているのは聞いたことがありませんでした。

おぼえてきた場所と理由

家族が使っていない言葉を娘がおぼえるのは保育園だろうと、送り迎えのときに保育士さんに尋ねてみました。

私「最近、(娘)が『ママ大好きー』って抱きついてくるのですが、保育園でやってます?」

保育士さん「えぇ、保育園で先生たちはみんな『(娘)ちゃん大好きー』ってやってますよー(両手を広げる、娘と同じポーズ)」

私「へぇ、そうなんですか」

保育士さん「きっと、先生に『大好きー』ってギュっとされるのが嬉しいから、ママにもやってあげたら喜ぶかなと思ったんでしょうね」

ママにもやってあげたら喜ぶかなと思った。

ちょっと、すごくないですか?

めちゃくちゃかわいい。

2歳になったばかりで、そこまで考えるのかと驚きました。

あと、娘が保育士さんを大好きなのがわかって嬉しかったです。

保育士さんもそういった一人ひとりへの対応をしてくれているのね。うれしいです。

素直な言葉で伝える大切さ

ところで、「大好き」とくらべて「産まれてきてくれてありがとう」ってひねくれた言葉ですよね。

多分、私が両親から言ってもらいたかった言葉なのではないかと思います。

成績が良いことなどの条件なしで存在を認められたことは記憶の限りではないので、条件がないことを無意識に強調していたようです。

でも「産まれてきてくれてありがとう」より「大好き」の方がだんぜん強い。

かんたんだからこそ、まっすぐ伝わる強さがあります。

素直に生きることにしたと言いつつも、まだ道は遠いようです。

まとめ

娘がかわいくて仕方ないのが主に書きたかったことなのですが(笑)

言葉をどう選ぶかには、これまでの経験や自分の思いが詰め込まれると感じました。

「条件付きじゃなくて、あなたが生きてくれているだけでママはうれしいのよ」と、娘に説明しないと私の気がすまなかったんです。

娘から「大好き」だけで十分伝わることを教えられるまで気がつきませんでした。

過去、周りが怖くて強がっていたときは攻撃的な言葉を選んで、私はダメだと卑屈になっていたときは自分を下げた言葉を選んできました。

これも同じことで、余計な情報がつけ加えられて、伝えたい本当の気持ちが相手に届きにくくなっていたはずです。

怒らせてしまったり、軽く扱われたり。

誤解されたと思っていたけれど、今考えると私が素直じゃなかったからなことがたくさんありそうです。

言いたいことだけが伝わるような、まっすぐな言葉を使っていきたいです。

ADHDと残業禁止のアレについて当事者かつ時短中ワーキングマザーが思ったこと

自作画像です 2017/04/17追記(下部です)

2017/03/04追記

記事内で、人を信頼したり頼るのを勧めていますが、発達障害をお持ちの時点で人間関係で嫌な思いを沢山されてきた方がほとんどだと思いますので、すごく難しいことなのは理解しています。私もそうです。

マニュアル化自体を否定しているのではなくて(私も今もやっています)、定型発達の方達をバカにし勝ちに行く姿勢は、定型発達の方達用にできている定型発達の方達が作ってきた社会で生き抜いていくのに合理的でない、と感じています。

「人の心の動きはマニュアル化した対応で正解を出せるほど論理立っていない」と臨床心理士からアドバイスされたことがあります。また心理学の勉強の中で得た知識としても、今の私の立ち位置はここです。

でも、直球でアドバイス罪なのは自覚してる。

第一印象

こんにちは! くずなつ (@kuzunatsuです。

数日前に炎上したこの記事。

最初に読んだ感想は「何でこうできたら良いのにという希望がサービス残業という、社内ルールとして許容できない一種類だけなんだろう?どうしてこう考えたんだろう?」でした。

普段、会社内での人間関係の立ち回りを語っている方が、周りがどう受け取るかを考えないで自分の気持ちだけで話している違和感がありました。

いろいろ考えたのでまとめておきます。

「人間の群れの中で上手くやっていく」とは

気になったので、他のエントリーも拝見しました。

何となくわかった気がするので、借金玉さんのおっしゃる「人間の群れの中で上手くやっていく」具体例を抜粋します。

好意をアピール

「あなたと仲良く話したいんです」という気持ちを伝えろ。

「挨拶」と「お礼」をとにかく欠かすな。

最低でも「あいつは礼儀正しいし頑張ってる」という姿勢を見せることをゴールに設定してください。

すみません、切り込みます。

自分の気持ちから来る行動だけなんですよね。最後のは特に顕著で「姿勢を見せることをゴールに設定」と、相手がどう感じるかという視点はありません。

もしかすると性別による違いかもしれません。

確かに、マニュアルとして具体的でとてもわかりやすいです。特に相手の気持ちを読むのが苦手な、ASD傾向の人たちにとってはやるのとやらないとでは変わりそうです。

脱線しますが、個人的には人がこういう行動を取ったらこういう気持ちだという、相手の気持ちに寄り添ったマニュアル作成はできると思うんですよね。

「貧乏揺すりをしているときはイライラしているときです。そういうときは余計なことをして怒らせないために、何も言わずにそっと離れましょう」とか。

「上司に話し掛けるのは、トイレから帰ってきたときか、お茶を淹れて戻ってきたときにしましょう。仕事が一段落してホッとしている状況です。間違っても会議から帰ってきた直後に話し掛けてはいけません」とか。

読み落としているだけで、載っていたらごめんなさい。

書いてみて思いましたが、私は衝動性が邪魔して余計なことを言って、夜中に布団の中で「ウァァァァァァァ!」と転がるところから抜け出せていないので、人間関係の立ち回りを語れる位置にいないです。

戻ります。

ものすごく頑張ってきた方なんだなと感じました

ほかにも気になる記述があります。

人間は基本的にチンパンジーとあんまり変わらないので、ボタンを押したら飴玉が出てくるマシーンを連打してしまう機能があります。 この状態に相手をネジ込めばコミュニケーションは勝ちなのです。

普段からこういう気持ちで会社の同僚や上司とコミュニケーションしているのでしょうか。

このエントリーだと後半で「相手を尊敬する」と矛盾していて、その結論が以下です。

まずは、敬意と興味を持って相手に個人情報を吐き出させてください。これさえ出来れば勝ったようなもんです。

えっ、また勝ち負けなの?敬意を持って吐き出させるの?

同僚にこう思われていたら、個人的にはとてもつらい気持ちになります。絶対に伝わっています。

ざっと読んだ中では、人間関係を勝ち負けだとおっしゃっている記述が複数あること、人に相談したり、人を頼るという話が一切出てこないことから周囲に弱みを見せないように,孤独なつらい中でものすごく頑張ってきた方だという印象です。

周りに負けたくなくて、弱みを見せたくなくて、自分一人の力でなんとかしたいという気持ちがものすごく強いから、こういった考え方をされていると理解しました。

苦労されてきただろうな。

ある意味で男らしいと言えるかもしれません。

おっしゃっていることはよくわかる

私は診断済みADHDです。

補助輪付き自転車で猛スピードで車道に飛び出すところからはじまり、小学校では椅子を投げ,忘れ物の女王と呼ばれてきました。夏休みの宿題は、二学期に入ってからはじめていました。

考えることが好きなこと、人間関係に恵まれたこと、運やタイミングが良かったことから何とか一般就業しています。

「ロスタイムのフル活用で帳尻を合わせる」方法は、30代前半のころはやっていました。サビ残で会社に泊まったこともあります。

若かったからできた体力任せの解決法です。

私は周りに迷惑を掛けたくない一心で、自分一人で仕事を抱え込んでいました。実際は抱え込んで見えない方が迷惑なんだけど、気づけませんでした。

周りに誰もいない方が集中できるので、一人の時間が必要なのはよくわかります。

でも今、私は時短中です。サビ残で帳尻を合わせるということは絶対にできません。

じゃあどうしているか

20代のころにハマったうつ病から周囲の方達に助けられて抜け出せてからは、少しずつでも前に進むことが信条です。思考停止にはまって立ち止まる時間がもったいないのです。

私もいろいろ試行錯誤してきた部分なので、考えたことをまとめておきます。

そもそも、やることを物理的に減らす

やることが沢山あった場合、重要なタスクとそうでないタスクが絶対にあります。

発達障害持ちだと、優先順位づけや計画を立てて進めることが壊滅的なので、全てを同じように最大限の力でやろうとします。それができない場合は全てを投げ出します。

ズレた最大限としては、超クオリティの高い出張報告(内部資料)とか、パワーポイントの背景なんかを作ってしまいます。過去の私です。

また、うつ病だったころの私は「こんなに頑張っているのに」と周りを呪いながら、消えてしまいたいとか言いながら、全てを投げ出した過去があります。

※ 投げたということは受け止めざるをえなかった人がいるということには数年後に気づきました。

「80対20の法則」を聞いたことがあるでしょうか。重要なことは全体の20%で、残りの80%は重要ではないという法則です。

仕事ができる方を観察していると分かるのですが、重要でない仕事は驚くくらい手を抜いています。この「手を抜く」ということを意識的にできると、やるべきことが物理的に減ります。

重要・重要じゃないの見極め

でも、この見極めができたら苦労しないんです。これができないから、全ての仕事を全力でやれば良いと考えるわけで。

私は「優先順位を重要と緊急で分ける」のはできないので、今は締切とタイミングで分けています。

一番良い方法は上司に聞くことです。複数の仕事の全体の繋がりを把握している人に確認するのが一番正確です。管理職だから見える領域があります。

「少し不安になってきたので一応確認させてください。優先順位はこれで良いでしょうか?他にできることはありますか?」

と、業務報告のときに思い切って確認すれば良いと思います。リストにまとめて見せれば1分で終わります。

これはやらなくて良いという仕事が出てきたらラッキーです。ADHD傾向が強いと早合点なので、頼まれたつもりの仕事が実は頼まれていなかったということがたまにあります。

※ 特定の人との話なので相手にも問題がありそうですが、うまくやる必要があるのは立場の弱い私です。

状況が変わって必要なくなることもあります。これは下っ端にはわからないことがあります。

環境調整を試みる

メールが来てパソコンの画面の端に通知が出た、スマホが鳴った、後ろで打ち合わせをはじめてうるさい、など職場で気が散ることは山ほどあります。

一度集中が切れると戻るのに時間が掛かるし、イライラするしつらいです。

私は、できる範囲で集中できる環境を作っています。環境調整というやつです。

メール・スマホのチェックはタイミングを決める

よく仕事術本に載っている方法ですが、メールチェックは午前と午後と終業時の3回に限って通知をオフにしました。

就業中の私用スマホは電波をオフにしていました。

今は、保育園から電話が掛かってくることがあるので、スマホは通知をオフにしまくった状態で手元に置いていますが、本当は電波をオフにしたいです。

机の位置の交渉

私はすぐそば(1.5m以内くらい)で雑談や打ち合わせをされると、字が読めなくなります。見えますが理解できなくなります。

参加している雑談や打ち合わせは問題ないですが、自分に無関係な話をそばでされると気が散ってしまいます。

以前は雑談をよくされる方々と席が近くて、正直なところ殺意が浮かぶレベルで仕事を妨害されていました。

でも、怒っても彼らの行動を変えることはできないので、上司に相談して席の位置を替えていただきました。

上司の人柄によって交渉の仕方は変わると思いますが、誰にでも共通の個人事の交渉の仕方はこのあたりだと思います。

ちなみに、私は今の上司から好かれていませんが、積極的に嫌がらせをされるほど嫌われてもいないと認識しています。

希望は具体的にYESかNOで答えられる形で伝える

上司は優先順位の高い仕事に忙しいので、個人の環境調整にはよほど良い人でないと付き合ってくれません。案はこちらから持って行くこと、その根回しが終わっていることが必要です。

席替えなら、どこに移るかまで決めておくこと、移動してもらう人がいるならその人の了解を得ていることが必要です。

上司の上司に説明できるメリットを用意しておく

自分のメリットだけを説明しても上司はOKしてくれません。

意地悪だからではなくて、上司は上司の上司に聞かれた場合に答えられるかで判断しているからです。これは仕事に関しても全て同じです。

もちろん最終的には診断書を出して配慮してもらうという手段がありますが、他にもいろいろ「配慮」されてしまいそうなので避けました。

机の配置は上司が決めたもので、業務分野別に小グループに別れた、同僚に相談するのに効率的な配置でした。

「うるさいから効率が下がってイヤだ」が私の真の理由ですが、これを正直に言っても通りにくいです。恐らく上司の考えを否定することになりますから。

部署のマスタープランみたいなものがあるならそれと繋げて説明するとか、就業規則と繋げるとか、会社のルールに乗っ取った説明ができると、よほど嫌われていない限りイヤとは言われません。

上司は会社のルール上で動いているからです。

上手く説明できない場合は、厚生労働省のストレスチェックが義務化されたので、その相談窓口で相談してみると良いかも。

会社の就業規則や福利厚生制度や労働基準法は勉強した方が得です。空気を読むのが苦手な私達にとってルールが文書化されているのはうれしいことです。

フレックスを相談するのがとりあえずの解決策に思える

人がいなくて電話が鳴らない集中できる空間を作るという意味で、フレックスで就業時間をずらすのが、とりあえずすぐにできる現実的な解決策になりそうに感じました。

はてブのコメントで書かれていた、評価期間を長く取る仕組みとか、人によって評価の仕方を替えるとか、評価制度を複雑にして間接部門のコストを上げる仕組みは、あると嬉しいけれど、中小企業ですぐに採用されるとは思えません。

転職しろと言われても、すぐに転職を考えるほど今の会社に絶望していません。なんとか今の会社で生き抜きたいから悩んでいるわけで。

フレックスなら上司の一存でOKが出る会社もあるのでは。

10時には生産性10だけど、19時には生産性150なのを、上司が上司の上司に説明できるように準備できれば、案外OKが貰えるように思います。客観性重要です。

何でこんなことを書いているかというと、すごく優秀で仕事ができる、どう見てもADHDな身近な人がそうしているからです。

なお、私は上司にとって優秀な部下ではありません。いろいろあがいた末に事実を認めるのも重要だと思います。

個人的には裁量労働制がうれしいけれど、そうすると多分私ダラけてしまって職場に行かない。

次案としては、空いている会議室に30分こもるとか。パソコンを持って移動できるならですが。

その他、やったこと

過集中に頼らない

過集中に頼って良いことはないと思っています。とてもつかれるしイライラするからです。独り言も出てしまいます。

一人で仕事をしているなら良いのですが、職場で周りに人がいる中でイライラや独り言をまき散らすのは周りの害になります。また、体力的に持たないです.

過集中に頼ると仕事の処理スピードにムラがありすぎて、スケジュール管理ができなくなるデメリットもあります。

締切前に過集中が来ることを願って仕事を放置するというスタイルは、時短で残業ができない今は怖くてとれません。

私も過集中頼りのスタイルは変えられないとずっと思っていましたが、時短勤務にしてから淡々と進める方法にシフトしつつあります。そうせざるを得ないのです。

淡々と進める

家事については、詳細なルーティン行動リストを作って、タイマーをセットして小さな達成感を沢山得ることで何とか回しています。

仕事でもタイマーは役に立ちます。マリオカートで自分の最高記録と対戦している感じに持って行きます。

「ルーティンの行動リストを作れと言われるが無理」というコメントをはてブで見ましたが、やり方次第だと思います。合う合わないはあると思うけれど、無理と切り捨てずにいろいろ試してみる価値はあります。

ポモドーロテクニック

個人的には、超短期的な目標にはわりと頑張れるタイプです。

25分でタイマーをセットして、その時間だけは集中する、その25分のセットを一日に何回できるかを工夫するという方法で、私の場合は一日のムラを減らせることに気づきました。

いわゆる改訂版ポモドーロテクニックです。あっ、改訂版というのは私が勝手に今付けました。

この方法は、日本では2009年にライフハッカーで紹介されたのが最初だと思います。そのころは何ポモドーロ(集中できた25分が1ポモドーロ)できるか工夫するという方法ではありませんでした。

https://www.google.co.jp/amp/www.lifehacker.jp/amp/2009/10/091017kitchentimergtd.html

この本から総ポモドーロ数を増やすように工夫する概念が出てきたようです。

この方のブログで改訂版を知りました。すごく役に立ちました。

http://www.rickynews.com/blog/2016/06/30/pomodoro/

25分集中できる環境を作るのは結構難しいです。

途中でお茶を飲みたくならないように事前にあらかじめ飲んで、トイレも行っておきます。

電話が掛かってきたり、人に話し掛けられたらポモドーロ失敗です。

外乱が入らないタイミングを読むことになります。中断した時間と理由を手帳にまとめておくと、次にタイマーをスタートする時間を決めるときに参考になります。

脳内多動で全然関係ないことを考えたときはメモして仕事に戻ります。これは頻度が高いので、ポモドーロ失敗にするのはやめました。無事に仕事に戻れたら成功にしました。

成功したときはすごく達成感があります。ゲーム性があると燃えるんですよね。単純なので。

手帳を分析して、自分が集中できる時間はそれほどランダムではない(外的・内的条件がある)こともわかりました。

平均何ポモドーロ仕事ができるかが可視化されたので、少しだけスケジュールが立てやすくなりました。

生産性0のときでもやれることリストを作る

やる気がないときにダラダラやれることリストを作っています。出張の精算とか、何かのフォーマットを作るとか、回覧資料を読むとか、考えずにできることです。

職場で生産性0に近くなったときは、やるべきことを一手ずつ紙に書き出して、済んだらチェックしていきます。

それこそUSBメモリをパソコンにつなぐ → ファイルをパソコンにコピーする → Excelで開く、というレベルで書きます。

人に見られたらヤバイです。こんな項目1つずつに5分とか10分とかかかっているので。

でも、少しはやった!というのが見えるようになって、何もできなかったと不安なまま帰宅することがなくなるので、精神的に重要です。

抜け道「自己研鑽」制度

うちの会社だと「自己研鑽」という名目で実質のサビ残ができます。どうしてもせざるを得ないときはあるわけで、そういう抜け道があるかもしれません。

こういうのは文書として周知は絶対にされなくて(管理上証拠を残せないので)、周りの人から雑談として聞くしかないことです。そういう隠し技があるか周りに聴いてみると良いと思います。

一人で頑張らなくても、人に弱みを見せたり、頼ったりして良いと思うの。

ADHD傾向が強いほど正攻法で正面突破を狙いがちですが、会社ではなかなかうまくいかないです。沢山痛い目を見てきました。

「サビ残で定時内の自分の生産性の低さをフォローしたい」という発想は、まさに正攻法での正面突破の発想です。

すでにおわかりのように、正攻法で正面突破だけを考えると発想の段階でめちゃくちゃ叩かれるんです。WIN-WINの発想になっていないから。

「周りの人に負けない成果を出すために努力したい」が主題であって、「サビ残したい」が主題ではないと理解しています。

この主題そのものは否定されるものではなくて、言い方だけなんですよね。

この関連の話題に傷ついた当事者の方へ

話は変わりますが、ブログの反応やTwitterを見ていて、この関連の話題で泣いたり、傷ついた当事者の方がいらっしゃるのに気がつきました。

発達障害でもこれだけ頑張っている人がいるのに、自分は頑張れなくて何てダメなんだろうって考えたり、自分と比較して傷ついてしまっている。

頑張っていないわけがないです。

比較すること自体が周りを気にしている(=人と合わせたいと願っている)証拠で、めちゃくちゃ気を遣って生活しているということです。むしろ頑張りすぎてる。

気を遣いすぎると疲れてしまうので、人と自分の区別をつける練習を意識的にしていくと生きていくのが楽になります。

人と比較して傷つくというのは、人と自分の区別がついてなくて、心の柔らかいところを無防備に外に出してしまっているということだと私は思います。

心の柔らかいところを外に出さないことは卑怯になるとか、冷淡になるとか、偽善者になるということではありません。

自分の機嫌を自分でみることができる、自律し安定した大人になるということです。

具体的な練習法は、感情が動くできごとがあったら、まずは、なぜそういう気持ちになったか紙に書き出してみると良いです。ブログやTwitterに吐き出してみるのも良いね。

頭の容量は限られているので、つらい考えを全部頭の外に出すことで別の考えに進めるようになります。激しい感情も意識して言語化することで頭の外に出せるようになります。

私も途中なので、分不相応な偉そうなことを言って恥ずかしくなってきました。

認知行動療法をやるには専門家の指導がいるので(専門書を読んで自力でやろうとしたけれど上手くいかなかった)、当事者が自力で似たようなことをやるにはゼロ秒思考がオススメです。

さいごに

この関連の話題について、沢山の方が感情を動かされたということで、人を動かす記事が書けるというのは才能だと思います。すごいことだ。

ほとんどの当事者がそれぞれの立場から自分の話だけをしているのが印象的で、すごく発達障害らしい展開なのが面白かったです。私もそうだし(もちろんそうでない見方の方もいらっしゃいました)。

定型・非定型関係なく、自分がどんなカードを持っていて何ができるかは自分には見えないことがあって、でも人からは見えている場合があるので、人に相談したり頼ってみたりはしてみた方が良いです。

変なことを言われても傷つかないように、ある程度人と自分の区別がつくことは必要かも。

なお、まとまりきらない長文はADHDの特性だと思っています。難しいです。

長いしタイミングが遅いので、おそらくそっとされると思うのですが、もし誰かの参考になれば嬉しいです。

衝動性に任せて言及を飛ばしているので、もし削除要請などありましたら、ご連絡ください。大変失礼いたしました。

それでは!

2017/04/17追記

色々考えましたが、この記事をほとんど誰も見ていらっしゃらないのを確認できたので、もう少しはっきりと感じたことを書いておきます。

借金玉さんの考え方が通用するのは、恐らく新卒3年目くらいまでです。

私の観測範囲では、リスペクトしている方々は新人さんか、少し慣れてきて「社会」に対して斜に構えたい中二病的になっている時期の方が多いように思います。

中堅になって仕事の規模が大きくなってくると、人との協力は必須になります。そこから目をそらして短期的な勝ちに固執しているように見えるんですよね。長期的にはどこかで行き詰まる考え方だと思います。

キツイ言い方をするけれど、ご本人は、就職・起業・廃業・転職なさっているようで、年齢を考えると3年以上一か所で持っていないと思われます。新卒3年目までの新人の時期をループしていて、それ以上の環境をご存じない。

だからこそ新卒向けの記事を主に書いていらっしゃるのだと思います。

インターネット上の情報を丸呑みするのではなく、信じて良い情報か検証できるようになるのは大人として重要な能力です。

私が高2病なのかもしれませんが、「裸の王様を裸だと指摘できるのがADHDの特性」らしいので、指摘しておきます。

嫌いというよりは、過去の私を見ているようで痛々しいのが本音です。そこを抜けて自然体になれると楽になるぞと思うのですが、想像力がなくて自分の失敗からしか学べないのもADHDの特性なので、見守るしかないんですよね。

作り置き料理をあえてしない(できない)、放置系レシピという工夫。

空のタッパー

こんにちは! くずなつ (@kuzunatsu) です。

娘 (2歳になりました! ) に保育園に通ってもらい出してから、休日の三食と、平日の夕食は作っています。

平日の朝は、パンと牛乳など料理しないで食べられるものにしています。娘が上手に寝られるようになったら作れるのかな。

私はそれなりに食べられる料理を作れるようになるまで時間がかかったのでいろいろ書きたいのですが、これは無理だとあきらめたものがあります。

作り置きです。

作り置きに憧れた

ワーキングマザーのブログを見ていると、効率化のために週末に副菜を作り置きしましょうと、いろいろな副菜をタッパーに詰めてずらっと並べたおいしそうな写真が載っていることがあります。

副菜や半調理品を作っておけば、平日の夕食は15分でできる! なんてすごく憧れます。

ADHDとはいえ、私もワーキングマザーなのでできるような気がして何度か挑戦しました。

でもできなかったんです。

できない理由 : 先が読めない

できない最大の理由は、先が読めないことだと思われます。

数日後のために準備をしておく、というのがどうしてもできません。

今少し苦労しておくと、数日後に楽だぞというのが理解できないようです。今少し苦労する方がイヤなんです。

できない理由 : がんばれない

当日の夕食のメニューは、家族の体調や、天気、私の気分 などでメニューを決めたいです。

そのときの気分は重要です。食べたくないものは作れません

鮮度管理もできません。2〜3日しか持たない料理が冷蔵庫にいっぱいあるのはキャパオーバーです。

リストを作るなど、仕事なみの注意をすればできるかもしれないけれど、日常生活ではがんばれないです。

週末に作り置きをする時間を取るのもつらいです。子どもと遊ぶか寝たい。

無理なことはしないとあきらめるのも大事

周りの人はやっているみたい、でも私にはできないってあきらめるのも大事だと思うんです。

複数の人のできるところだけを見て憧れるのは、現実にはいない完璧超人に憧れているということなんですよね。

みんな自分の能力に折り合いをつけて、その中で精一杯やっているわけで、できないことはできないで仕方ない。

ただ、私はできることできないことが人とずれているので、何ならできるかを考えます。

代わりに何ならできるか

作り置きができない代わりにどうするか。私の場合です。

目的に返る

そもそもの目的を考えます。

私と娘の帰宅は17時45分くらい、夫の帰宅は19時くらい、19時15分ごろに夕食ができていれば良く、時間は1時間半あります。

1時間半で夕食を作れば良くて、トータルの時間を短くする必要はないということです。ただし娘は私と遊びたいので、まとまった時間キッチンに立つことができません。

細切れに料理する必要があります。

※ 本当は18時半くらいに夕食にしたいんだけれど、夫の帰宅時間と皆でご飯を食べたい希望との兼ね合いで遅めです。

やりたいこととできること

細切れ時間でやりたいことは、夕食を作ること、ちょっとした片づけ、できれば娘をお風呂に入れることです (色々あって洗濯は夫の担当です) 。

料理でまとまった時間が必要なのは、火を使っているときに近くにいることです。あとは材料を切ること。

料理方法を工夫する

まずは料理の仕方を細切れにしました。

火を使う時間を最小限にして、とにかく消します。火がついた状態で忘れて放置するのだけは避けないと危ないので。

みそ汁やスープは、刻んだ野菜を鍋に入れ、水とダシを入れて強火で沸騰させて、すぐにコンロの火を切って放置します。それで火が通ります。みそは温め直す前の放置中に入れます。

肉を焼くのも、たとえば鶏胸肉だと、醤油砂糖酒片栗粉を揉み込んで表面だけ焦げ目を付けて火を消して、アルミホイルを挟んで蓋をして放置すれば火が通ります。放置系レシピと呼んでいます。

揚げ物も、たとえばコロッケは、揚げる前にレンジで完全に温めてからフライパンで表面だけ揚げ焼きします。自作のときも冷凍食品のときもそれで大丈夫です。

目を離せる電化製品に頼る

電子レンジやトースターなどの目を離せる機器をよく使います。

グリルは存在を忘れて出さずに腐らせてからあまり使っていません。見えないと存在を忘れてしまいます。圧力鍋は加圧後まで火を消せないので使わなくなりました。

最近、ホットクックという電気鍋を買いました。これで煮物系は機械に完全にお任せできるようになりました。シチューを煮ながらお風呂に入れます。

高いのですが、外食やお惣菜の回数が減ったので、数年使えれば元が取れそうです。

細かい工夫

細切れで料理をするには毎回手を洗うことになり時間がかかるので、キッチンに向かうたびにビニール手袋を左手だけにはめます。娘に呼ばれたらその都度外して捨てます。

両手にはめると時間がかかるので片手だけ。食材を触るのは左手だけにするということです。

まな板は小さめのを二枚使い、肉魚系、野菜系で分けます。小さめのまな板なら後付け食洗機でも二枚入ります。

肉や野菜は一食分の小分けパックを買ってそのまま冷凍・解凍します。

ひき肉を二食分300g欲しいときは、150gパックを二つ買うということです。詰め替えなくて良いのは楽です。

小さいことの積み重ねですが、今を工夫するのは好きなのでまだまだ工夫していきます。

まとめ

私は作り置きしない派です。

料理が余ったときは次の日にアレンジして出しますが、わざわざ常備品を作ったりはしません。

めちゃくちゃ憧れるのですが……どうもできないみたいです。

その代わり放置系レシピと細切れに料理する方法を追求しています。

娘が大きくなったら方法は変わると思いますが、2歳の今はこんな感じです。

最近は、娘がキッチンにお手伝いにやってくるのが、気持ちは嬉しいけど大変です。

それでは!

男性保育士性差別問題への女児親の立場からのモヤモヤ考察

Girls

2017/03/27 追記あり

こんにちは! くずなつ (@kuzunatsu) です。

私は1歳の娘に保育園に通ってもらって何とか仕事を続けているワーキングマザーです。

千葉市の熊谷市長のツイッターが発端となった「娘を男性保育士に着替えさせられるのがイヤな母親は男性保育士を性差別しているのか問題」にモヤモヤしすぎました。

私のモヤモヤをやっと言語化できたのですが、女児を保育園に預けている親がうまく言語化できなかった違和感を、男性保育士の性差別という別の問題にすり替えられた気がするというものでした。

ブログの趣旨に合ってないけれど、結構考えたのでまとめておきます。

なお、私が最初に見たのはこれです。

うまく言語化できなかった親としての思い

大前提として、私は保育園に子どもを預けていること自体がイヤです。

仕事をしたい気持ちもしなければいけない気持ちもあるけれど、夫婦で100%育てて仕事もできるならそうしたいです。

現実的には無理だから、子どもを預けて生活費や学費を稼いでいます。

保育園には感謝していますが、子どもが起きている時間のほとんどを私は見られない寂しさがあります。

保育園を選べるなら選びたいし、その基準は人それぞれ違う

保育園に子どもを入れるのは大変です。希望の園にはなかなか入れません。

保育園を選べるとしたらもちろん選びたいです。ちらっと見学しただけでも良いなと感じる園、ちょっとなと感じる園があるのは事実です。

その選び方は人それぞれで、どんな基準で選んでも誰かから否定される理由はありません。

でも、保育園は数が足りないので選べないのが現実です。不安を感じても我慢するしかない。

保育園で何が起きているか親にはわからない

保育園で子どもがどう扱われているのか、親にはわかりません。

まだ話せない子どもだと、お迎えのときに保育士さんと数分話すのと、連絡ノートに書いてある数行が全てです。

帰宅して、朝にはなかったアザや、割れて痛そうな爪に気がついても、理由はわかりません。

自分で転んだのかもしれない、お友達に叩かれたかもしれない、お友達を叩いたのかもしれない。もちろん目立つ傷は教えてもらえますが。

保育士さんを信じるしかないです。

保育士さんの良い悪いを判断できるのは、送り迎えの数分です。なんとなく嫌だなと感じても、信じようと自分に言い聞かせるしかありません。

何かあっても言いづらい

何か気になることがあって、保育士さんに聞いてみたいと思ったとします。

言い方にとても悩みます。

もしクレームだと受け取られて、保育士さんが腹を立てたら、その怒りは私ではなく子どもに向かうだろうと想像するからです。

保育士さんが重要と感じていないことで時間を取らせるのもどうかと思い、こちらから聞くのもはばかられ、コミュニケーション不足になっている実情はあります。

保育園に預けているという罪悪感

「不安なら預けなければ良いじゃない」と言われるでしょう。

それは仕事をやめるということです。

転職するとしても、未満児持ちの母親を好んで採る企業はそうありません。起業できるスキルもない。簡単にやめられません。

会社員の育児休業は、通常1年以内、理由があって1年半です。

せめて1歳を越えてから預けたいと思っても、保育園への1歳児の入園は、激戦地ではまずできません。0歳で預けるしかない。

毎日成長してどんどん変化する0歳〜1歳の時期の大半を、私は見ていません。子育てをしっかりできていると自信を持っては言えません。

少なくとも私は、子どもを保育園に預けていることそのものに罪悪感があります。

せめてできるだけ良い環境で過ごして欲しいという親心を否定されたように感じた

「保育園が子どもにとって少しでも良い環境であってほしい」と親である私は願っています。

そこで、子どもの生活環境向上に関係ない目的を全面に出して新しいことをはじめますと宣言されたのですから、不安になります。

このTogetterを読んで、男性保育士の性差別という論点ずらしをしていると感じました。でもそのときは違和感を言語化できていなかった。

「性差別」という言葉は、論点がずれて出てきても無視するのは難しい言葉です。私はしていないと説明したくなってしまう。それで余計に論点がずれていったのではないかと。

単に、違和感を表現する言葉の中で一番具体的だったのが「着替えとおむつ換え」で、男性性犯罪率が出てきたことで一見論理的な体裁になって。

男性性犯罪率を出したら主語が大きすぎて「外国人は犯罪率が高いから排除するのか」とか「女性保育士は性犯罪をしないのか」とか、そりゃ発散してしまいますね。

非難の様子を見て不安になりました。私の違和感に全く刺さらなかったんです。

言葉が全く通じない、非難している人たちが思考停止しているように思える不安。

つまり立場が違うのでそれぞれが違う土俵で戦っていたということです。通じるはずがない。

じゃあどうすれば良かったか

市役所内の検討会では、男性保育士活躍推進という言い方が通りが良いのは理解できます。その方がなんとなく論理的っぽいですから。

ツイッターという一般の人たち向けのメディアでは、この話題が目に留まるであろう一般の親たちの目を意識した言い方が必要だったのではと思います。

変化には必ずメリットとデメリットがあります。確率の小さなデメリットへの指摘を非難するのではなく、それを覆せるだけの子どもの生活環境向上へのメリットを説明して欲しかったです。

そこをダイバーシティとか職場の話でゴリ押ししても、利用者である親には刺さりません。

なぜ「男性」保育士と限定する必要があるのでしょう?

性差をなくすために性別を限定した政策を打つ矛盾を感じますし、男女関係なく現職の保育士さんたちの待遇を良くしてほしい、と親としては思います。

まとめ

保育園に通う未満児を持つ親の立場から、リアルタイムでうまく言語化できなかったモヤモヤの理由をまとめました。

・ 子どもにできるだけ良い環境で過ごしてほしいという願いを否定されたように感じた

のが大きく、そう感じた理由は

・ 親として保育園に預けていることそのものに罪悪感がある

・ でも子どもを育てるためには仕事をやめられないので預けるしかない

・ ジレンマにはまって悩んでいるところで、子どもの生活環境向上に関係ない目的の新しい政策を知った

・ うまく言語化できずに違和感を感じていたら、全く刺さらないところで非難を受けた (気がした)

ところにあるのではないかと思います。

さらに個人的な思いは色々あるので、以下に書きます。

個人的な考え

これ以降は、まとまっていないメモです。

皆思い浮かんだ「男性保育士」が違う

男性保育士活用と聞いて、実際に良い男性保育士に会った人はその保育士を思い浮かべて「問題ない」と思ったでしょう。

会ったことがなくて、とりあえずベビーシッター男性の逮捕のニュース映像を思い浮かべた人は「ありえない」と思ったでしょう。

何を想像したかで、反応が違ったと思います。

想像上の生き物に近い感覚の人もいると思うんですよね。想像した「男性保育士」によっては、もうそこで話が通じなくなりそうです。

女性保育士は誰にとっても想像上の生き物ではないので、そんなにイメージがブレないのではないでしょうか。

見えないところで娘と生活している成人がいる不安

0歳1歳児の子どもは、自分とは違う人間だとわかっていても割り切れません。1〜2年前は私の体の中にいて、最近まで私の体液だけで生命を維持していたからです。

女性よりも男性の性犯罪率が高いのは統計的な事実です。痴漢や、なぜか道端に下半身を出した男性が立っているなど、性犯罪に会った女性は多いです。私もそうです。

元々自分と繋がっていた無力な宝物が、数分しか話したことのない成人男性に、着替えやおむつ換えをされる。

丁寧な説明なく「男性」保育士という言葉だけ聞かされたら、逮捕されたベビーシッター男性やいわゆるキモオタ、性犯罪の加害者をとっさに思い浮かべた母親は、自分が触られるのを想像して「うっ」となってしまいます。

そこを、専門職だから大丈夫で業務がたくさんあって忙しいとか職員側の男女差別をなくすという理由で、女性保育士がおむつ換えする対応は取れないとゴリ押しされたら、自分も子どもも雑に扱われていると感じます。

多分、転園できないので実際に起きたらガマンしますが。

そういった母親をどう安心させるかも、個々の保育士の専門職としての仕事だと思います。

男性保育士が皆おかしいと言っているのではありません。私は会ったことがないので個人の評価すらできません。

これに対して「男児が女性保育士におむつ換えをされるのは良いのか」という話がありましたが、がまんできる程度にはマシです。

私が女性から性犯罪を受けたとしても何とか逃げられそうで、男性から受けるほどの恐怖感はないからです。

また、男性医師や男性看護師は、私は立ち会えるのでそこまで問題とは思いません。

性差別ではなくて、私に見えるか見えないか、私だったら逃げられるかが問題です。

女性医師や女性看護師だったとしても、私に見えないところで子どもに何かされたら恐怖を感じるしイヤです。

本当は女性保育士に娘のおむつを換えられるのもイヤです。自分で換えられるなら換えたいです。

まだ授乳しているからか、ガルガル期が続いていると理解していただけると大体合っています。

なので、(立ち会えない例として出ていた)小学校の校医が男性だったら〜は、全く的外れです。

保育士試験と保育士資格

私は保育士試験の一次試験9教科に全て合格しています。

二次試験は日程の都合で受けられなかったのですが、90%以上は合格するそうなので、あと少しです。

それで知ったのですが、保育士資格には、学校に通って取る場合と、試験を受けて取る場合の2種類があります。

学校に通って取る場合は、実習などあるでしょうし、たくさんある学校から保育士学校を選んで数年通えるだけの志があると思います。

試験を受けて取る場合は、試験を受けるための条件はほとんどなく、それまで一度も子どもに触ったことがなくても受験できます。

難易度は、子ども0歳で復職した私が別の仕事をしながら、昼休みに勉強して独学で受かるレベルです。

また、いわゆるロリコンの方々が潜入するには、小学校教員になるよりも試験を受けて保育士になる方が簡単です。小学校教員は、大学で教職課程を取って実習に行く必要がありますから。

もし保育士の待遇が劇的に改善したら、色々な方々が大挙する職業になるはずです。

おそらく子どもに触った経験がなかったり、犯罪歴があったりする保育士が出てきます。

実際に採用されるかは別の話ですが、男性保育士活躍推進と聞いて最初に思い浮かんだのは、保育士試験の現状でした。

せめて適性試験は必要です。もしくは子どもに関わる犯罪歴があったら落ちる仕組みにするとか。それすらないんです。

超個人的な思い

超個人的には、日常的に関わる成人男性に日常的に裸を見せている女児に、どうやって「異性には見せてはいけない場所がある」という恥じらいを教えるのか、教育的な点での不安があります。

発達心理学的には、先生だから良いと区別できるようになるのでしょうか。

それとも年ごろになったら本人が生理的に嫌がるようになるのでしょうか。

恥じらいを持たずにどこでも脱いでしまうようになったら、困るのは娘です。

男性保育士に娘の着替えとおむつ換えを任せるには、親としてその部分のエビデンスが欲しいところです。例えば、海外ではどうしているのでしょう?

これに対して「女性保育士に男児の着替えとおむつ換えをさせるのは良いのか」というツッコミをいただきましたが、そちらは問題なく育っているエビデンスがいくらでもありますので、良いという認識です。

超個人的な思い2

昭和40年代にできた男女雇用機会均等法ですら、均等という言葉を使っていて、言い回しに一応気を遣っているのがわかります。

さらに少数派なジェンダーに気を使い始めた今の時代に、千葉市の「男性」保育士活躍推進プランという名称は正直引っかかります。

現職の女性保育士がないがしろにされていると感じます。保育士全体の活躍推進プランではなぜダメだったのでしょうか。

まとまりきらないメモのまとめ

細かく考えると、男性に対する差別というよりは、前半で書いたモヤモヤしたこと、保育士試験の制度としての問題点、娘に恥じらいをどうやって教えたら良いんだろう?とバラバラでした。

私自身、大学時代は同学年120人中女子8人という環境で過ごして、同じ分野で就職しました。

ずっと少数派の性別として差別されてきた側です。

少数派としてやりたいことを続けるには、多数派に混じるよりも大きな努力が必要になります。志のある男性保育士には頑張って欲しいです。

また、子どもを大事に育てて欲しいと願います。

保育園職員や親は、本当に嫌になったらその場から逃げることができますが、子どもは逃げられません。

育児と仕事と家事にいっぱいいっぱいのワーキングマザーには、子どもにできるだけ良い環境を作ることに一所懸命で、それ以外に興味を持つ時間は物理的にないです。

最後に一応。

性差別問題について私は詳しくありませんが、世の中には色々な人がいることを受容できるかという問題だと思います。

個人的には、誰が何を言っていても私は存在を受け入れます。どう考えてどう対応するかは全く別の話ですから。

以上です。


追記

男性保育士活躍推進プランの中身を確認したら、男性保育士活躍推進100%で驚きました。

PDFの表紙に書いてあった「男性も女性も心から子育てを楽しめる保育所」というキャッチフレーズの意味がわからなくてしばらく考えましたが、もしかして「男性 (保育士) も女性 (保育士) も子育てを楽しめる」という意味でしょうか。

親は保育所で育児はしないので、保育士と理解するのが妥当に思えます。

保育士のするべきことは、養護と教育が一体となった保育です。具体的には子供の育ちを支えること、保護者の子育てを支えること、子どもと子育てに優しい社会をつくることです (全国保育士倫理綱領より抜粋)。

保育士試験を独学で受験した私ですら、保育士の仕事は子育てではないと理解しています。

子育ては親がすることです。保育士が子育てを楽しむってどういう意味でしょう。

姑に子どもを連れ去られたような気持ちになりました。されたことないけど。

言い方の問題ではありますが、やはり親としてどうしても不安を感じます。

追記 2017/03/27

男性保育士活躍推進プランのPDFが差し替えられているのに気づきました。

私の記憶と照らし合わせてですが、表紙の絵がなくなりました。また、中身も変更されています。総ページ数が減っている気がします。

男性保育士のキャリア形成のためだけだと感じられた文章の削除が主目的と思われます。

プランが一部変更されているように見えます……市レベルだとどなたかの一存で黙って政策を変更できることを知ってちょっとショックです。

なお、男性保育士の理解の促進…のところに、「男性も子育てを楽しめる環境作り」という項目が追加されました。これは表紙の「男性も女性も心から子育てを楽しめる保育所」の理由と思われます。

言いたいことは山ほどあるのですが私は千葉市民ではないので、内閣府のご意見フォームに投稿しました。謎の行動力。

きちんと検討されないままこの動きが日本全国に広がるのはどうかと思ってしまいました。最低限、海外はどうしているのか調べて欲しいのです。

メールアドレスも書きましたが、返信は来ない気がします。さすがに出すぎてる。

何かあったらまた追記します。

コメントの返信をすっぽかしていて申し訳ありません。読んでいます。

イヤな気持ちを職場から家に持ち帰らないためのチェックイン・チェックアウトという考え方

チェックアウト! こんにちは! くずなつ (@kuzunatsu) です。

職場でイヤなことがあって気分が悪くても、それを子どもに見せるわけにはいきません。

子どもは「ママの機嫌が悪いのはわたしが悪いからだ」と受けとるはずだから、子どもの前ではいつも笑顔でいたい。

今日は、イヤな気持ちを職場から持ち帰らない、つまり、職場でのイヤな気分を切り替えて、笑顔で子どもを保育園に迎えに行くためのコツを書いてみます。

チェックイン・チェックアウトという考え方を知ったきっかけ

2016年の11月から、産業カウンセラー養成講座のスクーリング (通信教育での実際の授業のこと) に月2回ほど通っています。そのときにかならずやる儀式があります。

チェックインとチェックアウトです。もともとは心理療法のグループワークをするときの儀式だそうです。

スクーリングがはじまるときにチェックイン、終わるときにチェックアウトします。

チェックイン

スクーリングが始まるときに、参加者全員で円になって、ひとり1〜2分ずつ全員話します。今日の抱負や、最近あったことなど、なんでもOKです。

会場に来るまでの気持ちを切り替えて、スクーリングに没頭するための儀式です。

チェックアウト

スクーリングが終わるときに、やはり参加者全員で円になって、ひとり1〜2分ずつ全員話します。なんでも良いと言われていますが、今日の感想や自分の課題を話す方がほとんどです。

産業カウンセラー養成講座のスクーリングでは聴き方の練習をするために、おたがいに悩みを打ち明けあうことになります。

みんなカウンセラーの卵にすぎませんが、聴いたことには守秘義務があるので、今日聴いた内容は全て会場に置いていって忘れましょうという意味の儀式です。

なんてことはない行動なのですが、そう意識して話すことで、本当に置いていくことができる! 不思議です。

職場へのチェックイン・チェックアウト

職場でのわたしはマミートラック真っ最中です。

うっかりなADHDにはつらい、大量のExcelデータの処理をしたり、興味も知識もない英文を訳したりしています。以前のような主体性は求められず、与えられた作業をしています。

どうしても表情が暗くなるし、「この仕事を続けてどうなるんだろう」という気持ちになってきます。ミスもするし、注意もされます。

自分が子どもを産んで時短したことが原因なので仕方なくて、できるだけ目立たないようにチャンスを待っている状況です。

子どもを産むまで、わたしは仕事とプライベートの区別をつけていませんでした。仕事がうまくいっていれば家でも機嫌が良く、うまくいっていなければ家でも不機嫌になって夫にグチる。

子どもがいるとこの習慣は続けられません。

子どもにグチる親にはなりたくない。仕事とプライベートの区別をつけるために、自然とチェックイン・チェックアウトをするようになりました。

言語化できたのはスクーリングに行ってからですが、ずっと似たことはしていました。要はどう気分転換するかってことね。

気持ちを代弁してくれる歌を聴くことにした

最初は、職場についてすぐチェックインとして「気になること」、帰る前にチェックアウトとして「今日の反省」を書き出していました。

チェックインはそれで問題なかったのですが、チェックアウトでひとりで反省すると、あとで見直さないから意味がないし、気持ちが切り替えられずよけいに沈むことに気がつきました。

またスクーリングのチェックアウトは聴いてくれる人がいるから思いをうまく置いていけることまた人の話を聴くことでも自分の思いを置いていけることに気がついて、聴く方になってみることにしました。

具体的には、今の心情に近い歌の歌詞をよくよく聴くということです。心情に近くて元気づけられるような曲。

今はチェックインではWind Climbing〜風に遊ばれて〜、チェックアウトではAngel Blossomを聴いています。

文中のリンクは歌詞です。YouTubeにリンクすると著作権的に問題がありそう。

どちらもアニソン (アニメソング) です。元同人オタクだからですが、アニメソングの方が滑舌がしっかりしていて歌詞が聴き取りやすいように感じます。前向きな歌詞も多いし。

Wind Climbing〜風に遊ばれて〜 は、逆境にいる気がするときにサビを歌うと元気になれて好きです。

Angel Blossomは、曲調が元気なのと、不屈の夢の彼方という言葉が好きです。なんとなく笑顔で娘を迎えに行くぜ! という気持ちになります。

まとめ

嫌な気持ちを置いていって、気持ちを切り替えるためのチェックイン・チェックアウトという考え方を紹介しました。

現時点の私の理解なので、心理療法の専門家から見たらものすごく浅いことを言っていそうです。でも効果はありました。

チェックイン・チェックアウトが儀式としてできれば良いだけなので、人によって思いを置いていける方法をいろいろ試す必要がありそうです。

自力で気持ちを安定させる方法は、いろいろ試してみて損はありません。発達障害があると、イヤと感じることがたくさんあって、イライラしやすいからね。

ちなみに、職場での冬の査定は平均値ど真ん中でした 。これまでは良いか悪いか両極端だったので、上司からは扱いやすくなったのかもしれません。わたしはつらいです。でもここで衝動的に辞めることはしません。

それでは!