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【脳内多動が漏れる】衝動的に会話に割り込み横取りする癖を改善した方法

会話に悪気なく割り込む人のイメージ こんにちは! くずなつ (@kuzunatsu) です。

イラストは、会話に悪気なく割り込む人のイメージ図です (自作)。私の中ではこんな感じ……。

脳内多動……

ADHD傾向の強い人にはお馴染みの、頭の中で考えがまとまらずにどんどん流れて切り替わる、よくある状態のことです。

私は30代前半まで、脳内多動が外に漏れ出す話し方をしていました。正直なところ今も焦ると漏れます。

このクセでどれだけ人に嫌な思いをさせてきたか、脳内多動が外に漏れているっぽい人に会うたびに自分の黒歴史をご開帳されている気分になってここ数年悶絶してきました。

反省を込めて、対策も含めてまとめておきます。

脳内多動が漏れ出ていると思う人の話し方

脳内他動が外に漏れ出ていると感じる人の特徴はただひとつ、話に割り込み、横取りするです。

言葉尻に反応して、話す人が望んでいない浅い反応をすること、そこで止まらずに全然関係ない話に脱線すること。

これに、「そんなの全然たいしたことないよ、私なんて…(以下全然関係ない話) 」が続くと重症。

でも、ADHD傾向があると悪気なくやってしまいがちです。

割り込まれた人がどう感じるか

黒歴史の分析を続けます。割りこまれた人がどう感じるか。

自分の話がしたいだけの人だと感じる

何度も話に割り込んで一方的に話をする人といると、自分の話がしたいだけの人だと感じます。

会話をする気がない、私に興味がないんだと思う。自分に興味がないと感じる人と話したい人はいません。

深い話ができない人だと感じる

説明の途中で何度も割り込み・横取りを繰り返されると、浅い話しかできなくなります。

あげ足を取られるので、深い話に持っていけません。

それが続くと、私とは意図的に深い話をしないようにしているのか? と感じます。親しくする気がないんだととってしまうんですね。

相談したり、真面目な話をするのはやめておこうとなります。

頑固で自分を変える気がない人だと感じる

会話への割り込みや横取りをすると、注意や指摘なども最後まで聞けないので、変わる気がない、変える気もない、頑固な人だと思われることになります。

指摘を聞けていないので、悪気がなくても変われません。

割り込みや横取りが言い訳だったり他責的だったりすると、さらに印象が悪くなります。

これを仕事でやってしまうと、致命的な欠陥になります。

私が以前、頭が硬くて頑固だと言われたのは、納得しないと動けないという理由と、この辺りも関係あるのではないかと。

割り込んでしまう本人の困り感

これらは、本人の困り感では友達ができない、人に誘われない、誰にも相談されないといったところにつながります。

割り込み・横取りするクセがあると聴ける話が少なくなる、つまり得られる情報量が減るので、共通の話題を見つけることもできなくなるし。

仲の良い人ができないという、ものすごい悪循環に迷い込んでしまう。

悪気はない、無意識だから仕方ないとは思ってもらえないんですよね。

改善方法はただひとつ

この文章をまだ読んでいるのなら、心当たりがあるということでしょうか。

対処法があります。

自分が割り込み・横取りしていることに、その場で気づいて止まることです。

自分の割り込みに気づくには、いつもより注意して相手の顔を見たり、空気を読んだりする必要はありません。

「相手の声と自分の声がかぶった」のに気づくだけです。これならできる気がしませんか?

その直前まで相手が主に話していたのなら、割り込んだのは自分です。

私の場合は更に、話している相手を黙らせるのに慣れてしまっていて、おかしいと感じなくなっていました。信じられない黒歴史ですね。

もし気がつけたら、その時点で会話のバトンを返せれば印象は全然違います。具体的には「あっごめん」とか一言だけでいい。黙るだけでも構いません。

空気を読む能力は関係なく、物理的に自分が発した声と相手の声が重なったら黙るのを繰り返して習慣づけるということです。

自分をコントロールできるようになろう

ADHD傾向の強い人にとって、衝動性のコントロールは重要です。

考える時間と行動する時間を分けるのが解決策になるのですが、会話はそれができないので改善しづらいです。

でも何でも、簡単にやれそうな目標を立てて少しずつ進めれば良くって。

コツコツ続けて大きなゴールを目指すのではなくて、ものすごく小さくて具体的なゴールを何度もクリアする方が私の場合は続きます。

それでは!

ADHD傾向の人のペーパードライバー克服大作戦②駐車/車庫入れ

こんにちは! くずなつ (@kuzunatsu)です。

自宅の車を動かしました!動かしたというのは、自宅の車庫から自宅前の道路に出して戻してみただけだからです。怖いので慎重です。

この記事の続きです。

事故っていませんので、安心して読んでくださいね。

というわけで、ただ歩くだけで体をぶつけてアザだらけという、体の感覚も注意力もないADHDの発達障害者がどうやって車をバックで駐車したのか記事にしておきます。

車庫入れのコツ

前の記事で、夫に聞いた車庫入れのコツを書きました。

スタート位置を決めている。そこからだとハンドルを全部切ってバックすれば良いので微調整がいらない。

車庫に入る直前は、左のサイドミラーで左の後輪の位置を確認している。左の後輪を必ず乗せないといけない場所がある。

左後輪を正しい場所に載せられたら、車の右側は見る必要がない。

どの駐車場でもこの方法でいける。

このあと別の人にも聞いてみたのですが、「ぶつけないように後ろに下がれば大丈夫」「バックミラーで距離がわかる」「全体を見る」など、若干ふわふわしたアドバイスをいただいたので、夫の説明の具体的さに感心しました。

わからずやの妻をいつも相手にしてるから上達したのかもしれない……と思うと申し訳ないです。

この記事より簡単な方法 (条件あり)

車庫に車を入れたときに、ドライバー側に駐車スペースの枠の線がある場合は、この方法が良さそうです。

うちの車庫はこの線がないのでこの方法では入れられないのです。以下は助手席側の枠線を使う場合、つまりこの方法とは左右が逆の駐車方法です。

車庫入れしてみた

休日、娘が昼寝している間に練習しました。

5ナンバーの小さめ乗用車です。

エンジンのかけ方、足元の右がアクセル、左がブレーキ、発進時にシフトレバーをDに入れるなどの基本は覚えていました。

ここでキャパオーバーしなくて良かったです。

スタート位置に車を止める

スタート位置を決めている。そこからだとハンドルを全部切ってバックすれば良いので微調整がいらない。

これについてもう少し詳しく夫に聞きました。

スタート位置とは「車庫の前に車を横付けして、車を入れたい枠の端に自分の頭の位置が揃うように一度止まって、ハンドルを右に完全に切って進めるところまで進んだところ」だそうです。

スタート位置に着くには前の段階があるということです。絵を描いてみました。

いったん車庫の前に寄せて停める。

スタート位置の前段階
スタート位置の前段階
「ハンドルを右に完全に切る」のは、車を停めたまま回します。エンジンがかかっていれば回せます。

車を進めるにはブレーキを離すだけで、アクセルは踏みません。

焦らずにひとつひとつ進めれば大丈夫。2つのことは同時にやりません。

ここから道路の端にぶつかる直前まで前進したところがスタート位置です。

スタート位置
スタート位置
車庫の前の道路幅は5mないくらいです。ここだけはどこでも停められるようになるには定義が足りない気がしますが、大体の駐車場の前のスペースは5m前後なので実質的に問題ないそうです。

車庫に入れる

左後輪の位置決め

車庫に入る直前は、左のサイドミラーで左の後輪の位置を確認している。左の後輪を必ず乗せないといけない場所がある。

ここからは左のサイドミラーしか見ないそう。

一度に処理しないといけない情報が多いと簡単にキャパオーバーするので、こういう簡潔さは重要です。

先に、左のサイドミラーを後輪が見えるまで下に向けます。運転席のドアに付いてるスイッチをひねったらできました (車によって違いそうですが) 。

ハンドルは車を停めた状態で完全に左に回し切って、シフトレバーをR (後退) に入れます。

周りに人がいないことを確認して、ブレーキを離します。

見るのは左のサイドミラーだけ。サイドミラーで見えるものはこんな感じ。★が左後輪を乗せないといけない位置です。

左サイドミラー
薄ピンクが車体、茶色が左後輪

上から見るとここです。

左後輪で踏む位置はここ
左後輪で踏む位置はここ

踏めなかった場合は、ブレーキを踏んで停まって、ハンドルをまっすぐに戻して (右に2回転) 50cm〜1mくらい前進して、左に完全に回し切って後退を繰り返して調整します。

★に対して左右どちらにずれていても、ずれたときの車の向きが違うので、同じ操作で★を踏めるはずです。

ハンドルで微調整しようとするより、前進する距離で調整する方が初心者向きだそうです。

★を踏めたら

★を踏めたとき、ハンドルは左に回し切っているはずなので、そのまま左サイドミラーを見ながらバックします。

サイドミラーに映った左後輪と車庫の枠線が平行になったら車を停めて、ハンドルをまっすぐに戻します (右に2回転) 。

※ 何度でも書きますが、ハンドルを回すのとアクセルを踏むのは別々です。

そのまま後退して、車の前端が駐車場の枠に入ったと思ったところで停めます。

もしも枠内に入っていなかったら、車を降りたときに気づくはずなのでそのときに直せばOKということで。慣れれば車体感覚ができそうですが、今のところあまりないです。

スタート位置の前段階が重要

切り返さずに★を踏めなかったときは、一番最初に車庫前に車を寄せて停めたときの位置がずれているということです。他の動作は固定しているので。

次に駐車するときは、最初に停車するときの位置を少しずらしていくとと、ちょうど良い位置が見つかります。

免責事項

車の違いなどでこの方法でうまく駐車できない場合はあると思いますので、私レベルのペーパードライバーの方が試してみるときは、必ず外から人に見てもらってくださいね!

車をぶつけたら大変ですし、見ず知らずの人や子どもにぶつけたらもっと大変です。

ADHD傾向が強い人は運転が向いていませんので、気をつけて!私も気をつけます。

まとめ

ここまでやる必要があるの?と思われそうな記事だなぁと自分でも思います。

私は人よりワーキングメモリが少ないので、普通の人と同じ方法ではできないことがあります。

でも、一度に処理する情報を減らすことができれば、結果は出せます。

家事に対しても、仕事に対しても考え方は同じです。

実は、元々梅雨対策で車の運転ができないとマズイと言っていたのですが、今のところ思っていたよりも雨が少なめで運転しなくてもどうにかなっています。

このまま運転しない方が平和かなと思いつつも、駐車が一応できるようになったので、次は道路に出たいと思います。

それでは!

ADHD傾向の人のペーパードライバー克服大作戦①計画

道路と車

こんにちは! くずなつ (@kuzunatsu) です。

私はADHDです。ADHDとは注意欠陥多動性障害のことで、大人になると衝動性が弱くなる代わりに注意欠陥が目立つようになると言われています。

確かに、実感としてそう思います。

最近、注意欠陥タイプの人の鬼門としか思えない車の運転をする必要が出てきたので、どうペーパードライバー克服作戦を立てたかをまとめておきます。

失敗した時の取り返しが付かないことなので、さすがに慎重です。

車の運転をせざるを得ない

私には2歳の子どもがいて、一緒に電車通園・通勤しています。

自宅から駅までだいたい2キロあります。私の足で20分。

駅まで歩くなら家を出るのは朝7時5分、バスに乗るなら6時45分です。朝に20分早く出るのはつらすぎるので、毎日ベビーカーで駅まで歩いてきました。

子乗せ自転車も考えたのですが、自転車置き場から駅までの移動時間を考えると、やっぱり歩いた方が早いんです。

でも2歳を過ぎると、ベビーカーに乗っている子どもはいなくなります。あとは知らないおばちゃんに歩かせなさいと絡まれたりします。娘本人にも乗りたくない気分の日が出てきたし。

デモデモと車の運転を渋っているうちに梅雨に入って、雨の日がつらくなってきました。

自分だけなら濡れても良いのですが、2歳児には申し訳ないです。

家に車はあって、保険的には問題なくて、駅の近くの駐車場が借りられるみたいです。

私が運転できれば、時間的にも天気的にも全部解決するんですよね。

ずっと車の運転をあきらめていた

自動車の免許はマニュアルで持っています。

でも、20年近く運転していません。教習所を出てから実際に車で道路を走ったのは2回くらい。

あっ、中型バイクを持っていた時期があるので、その時期はよく公道に出ていました。

※ 念のため。超慎重だったので無事故無違反でした。

運転をしない理由

自動車の運転を避けるようになったきっかけがあります。

自動車教習所の卒検を信号無視で2回落ちたからです。自分以外に聞いたことがないです。

信号無視したのは、試験を開始してすぐと、道を間違えて迷ったときで、まさに注意欠陥のパターンでした。

少し緊張するだけで赤信号を見落とす私が運転するなんて危険だ!とずっと避けてきました。

緊張と注意欠陥

緊張したときって、緊張したことに気づければ落ち着こうと思えますよね。深呼吸するだけでもマシになるかも。

若いころは自分の状態を客観的に見る能力が本当に低くて、自分が緊張していることに気づけないまま簡単にパニックしていました。

緊張でもともと少ないワーキングメモリが更に減って、情報処理が追いつかなくなるのが体感できました。

スマホやパソコンだったら、固まってるのに熱い状態。

私の場合、周りが見えなくなるのと判断ができなくなるのとで、余計なことをして物を壊したりしてきました。

(妊娠中にはじめて本物のパニック発作を起こして救急搬送されましたが、それはまた別の話)

今はかなりマシになりましたが、運転となると不安です。

Twitterの自己紹介に、「年をとって落ち着いた」と書いていますが、単に大体の失敗パターンを出し尽くして慣れただけなような気もします。

緊張しないためには、慣れが大事なんですよね。

ペーパードライバー脱出作戦

緊張からの注意欠陥をさけるためには、あらかじめ大体の失敗パターンを出し尽くして言葉としてマニュアル化して慣れることが大事だと思っています。

想定外が起きないように準備するということです。できる限り緊張や動揺しない環境を作る。

見て覚えるとか体で覚えるというのは私にはできないので、頭での理解が必須です。

高校生のころ、投げ方を教わった砲丸投げで12m投げてクラスで上位だったけど、投げ方を教わらなかったソフトボール投げでも12mで、ダントツでビリだった思い出があります。体は意識で動かすしかないんです。

やれそうなことを挙げていきます。

ルートを決める

よく知っている道しか走らないということです。

注意する場所をあらかじめ決めて、必ず確認する動作を習慣づければ、少なくとも赤信号には気づけるはずです。

家から駅までまっすぐ行く道を選びます。夫が普段使ってるルートで良さそう。

そのルートを確認したところ、信号は2か所。あと、信号のない交差点が4か所あるのでそこも注意した方が良さそうです。

車線変更がないのは幸いです。車線変更は一度に必要な情報量が多すぎて今はムリです。

あとは、夫に横に乗ってもらって何度か走ってみて、注意した方が良さそうな場所を設定したいと思います。

車幅感覚の校正

私は、ただ歩いているだけで体をいろいろなところにぶつけます。いつもどこかにあざがあります。ADHDの不注意からくるものなのかな?

やっぱり、体を動かすのにイチイチ考えないとダメなんだと思います。

自分の体の幅の感覚がない人に、車幅感覚がつくとは思えません。

夫に聞いてみたんですが、夫はそんなに車を運転しないので、運転しはじめてすぐ(大通りに出る前)に後輪で白線を踏むように運転して、サイドミラーで車幅感覚があっているか毎回確認しているそうです。

聞いてみるとコツが出てくるものです。それもやってみよう。

車庫入れのマニュアル化

うちの車庫は狭くて、小さい車しか入りません。家の前の道路も狭くて、道路と車庫の境目に段差があります。

夫が言うには、狭すぎて前から入れるのが難しいそうです。バックで入れるしかないんだって。

しかも、「ここに入れられればどこでも大丈夫」だそう。最終ボス、わが家の車庫。

バックでの車庫入れの方法を、しつこく聞いてみました。

  • スタート位置を決めている。そこからだとハンドルを全部切ってバックすれば良いので微調整がいらない。
  • 車庫に入る直前は、左のサイドミラーで左の後輪の位置を確認している。左の後輪を必ず乗せないといけない場所がある。
  • 左後輪を正しい場所に乗せられたら、車の右側は見る必要がない。

案外マニュアル化しているんですね。私が聞いたから答えるために言葉にしたのかもしれないけど。

そういえば、教習所では「車の左Cピラーが植え込みのレンガに重なったらハンドルを切る」と教わったなぁと思い出しました。

これは、言われた通り練習してみるしかない。

借りる予定の駐車場での不安対策

自宅での駐車が一番難しいそうなので、駅のそばの駐車場では技術的な問題はないようです。

ひとつ大きな不安があります。

借りる予定の駐車場で、車を入れているときに他の車を待たせた場合です。これで焦らないのはムリです。

待たせているというプレッシャーでキャパオーバーして焦って車をぶつけるのが目に浮かびます。

相手の車がぶつかってくることは絶対にない(私を待つしかない)状況でしょうから、焦っても失敗しないくらい慣れるしかないような……きっちりマニュアル化して、ひとつひとつこなすしかなさそうです。

娘が後部座席で泣くかも対策

もうひとつの大きな不安が、後部座席のチャイルドシートに乗った娘が泣くことです。

運転中に「痛い」とか泣き出したら、焦って事故を起こしてしまいます。

考えましたが、こうなったら車を道路の端に寄せて停めるしかないと思います。

迷惑でも事故を起こすよりマシです。

まとめ

だいぶ気負っていますが、事故を起こしたくないので慎重です。

昔二輪車に乗っていたころは、一年くらい毎日乗っていたのに、あらかじめ計画を立てておかないとコンビニに入れないという下手さでした。

二輪車は前にしか進めないし小さいので、車体をぶつけるとかそういう事故は全くなかったです。

注意欠陥はわかっていたのでめちゃくちゃ慎重でした。多分、信号無視したこともないです。

二輪車で無事故無違反なのを考えると、車でここまで心配するのはやりすぎかもしれません。でももしも事故を起こしたら、責任やら申し訳なさやらで現実逃避して病むと思うので慎重です。

人の人生をめちゃくちゃにする可能性があるわけで、ものすごく怖いです。

不安なことをはじめないといけないときは、こんなことを事前に考えますという話でした。

今回は夫に頼りきりですが、他のことだと本を読んだりひたすらググることもあります。

運転の実際の話は別の記事にします。

それでは、また。

「苦労してなさそう」「人生が楽でずるい」と私が言われる理由が分かった

水滴が涙っぽい? こんにちは! くずなつ (@kuzunatsu) です。

私はこれまで、「苦労してなさそう」や「人生が楽でずるい」なんて親しい人から言われることが何度もありました。

妹にも言われたのですが、妹は私が父に殴られるところを毎週見ていたわけで、なんでそんなこと言えるの!?と思っていました。

つい最近、理由がわかりました。

どうも私の言葉と態度の表現が一致していないからのようです。ひどい目に遭ってつらいと言っていても、余裕そうに見えるんだって。

わかったきっかけ

きっかけは、産業カウンセラー養成講座で、私が相談者の回の録音を聞いたことです。

産業カウンセラー養成講座の実習では、カウンセラーの卵同士で相談者役とカウンセラー役に分かれて相談しあって、カウンセラー役の対応のよしあしを検討します。

つまり、相談者が何を言ったことにカウンセラーがどう対応したかをチェックします。

相談者は何を話しても良いのですが、私はこの時、仕事はつらいし、子供はイヤイヤ期だし、精神的肉体的に限界に近いことをグチりました。

実際にそのころは、「ストレスが原因で人生で1回だけなる」という帯状疱疹という病気になったところで、もうほんとつらかったんです。

でも、録音された声はすごく元気そうで、つらそうには聞こえませんでした。

まだ余裕があるようにしか聞こえなかったんです。

非言語コミュニケーションが「普通」とずれている

心理学だと、言葉と態度にズレがあった場合、態度が本当だといわれています。「嘘は目に出る」というやつですね。

つらいと言っていても、態度が余裕そうだったら、余裕だと受け取られてしまいます。

家に帰ってから夫に聞いてみたところ、「まだ余裕がありそうだし大丈夫だろうと思っていると、突然ダメになる」ように見えるそうです。

うつ病になった時がまさにそのパターンでした。周りにつらいと訴えても誰にも伝わりませんでした。

周りが松岡修造氏ばりの熱血はげまし系ばっかりなんだと思っていたけれど、まさか自分の態度の問題だったとは。

ズレの理由はなんだろう

何でズレるのか気になるところです。

自分をよく見せようとしている?

最初、自分をよく見せようとしているのかな?と考えたのですが、その割には話を一切盛っていなかったんです。

事実しか話していないし、第一、つらいとハッキリ言っているんです。

自分をよく見せようとしていたら、こんな大変な時でも頑張っている自分カッコイイ☆という話し方をしますよね。

なので、私の場合は違うと思います。

発達障害の症状?

次に考えたのが発達障害の症状、特に社会性の障害によるものかな?でした。

私は診断はADHDですが、ものすごいストレスがかかると今考えるとASD傾向のこだわり行動が出ていたことがあります。ASD傾向がゼロとは言えません。

ただ、カウンセラーの勉強をしているうちに同時にわかったことがあって、人の話を聴く態度には問題がないようなんですね。表情や話し方などは適切だそうです。

自分の話をするとき限定でズレてる。

脳障害からくる社会性の障害というには、都合が良すぎるような。

何かしらの自己防衛?

人に迷惑をかけたくないのかも

人に心配させないポーズをとるクセがあるのかもとは思いました。

私は、人に迷惑をかけたくないという思いが強いです。

これまでのブログの記事の中でも、負担は人に掛けずに自分にかけるとか、社会人として生きていく中で正直、無理をするクセがついています。

「口ではつらいと言っているけど見た目は元気そう」という段階を越えると、うつ状態になっていきなり動けなくなってしまうので、ギリギリまで無理をしているんだと思います。

いきなり潰れると人に余計に迷惑をかけるので、小出しにしてるつもりだったんですが、まだ全然できていないみたい。

恥の意識とか二次障害とか

人に迷惑をかけたくないという意識がどこから来るかなんですが、そもそも対人関係でロクな目に遭ってないから、人に助けを求めたり、内面を話すのが苦手です。

自分のことを話したり、自分のことを話されること自体に恥の意識がないとは言えない。

少なくとも子供のころに、自分の考えを否定されずに受け入れてもらったという記憶はないので、言っても仕方ないとかそういう気持ちはどこかにあります。

何と言っても肉親に殴られるという経験は、人を信じられなくなるには十分すぎました。

つらくないと認識するため?

「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」という言葉を聞いたことがありますか?

私は子どものころ、家族の中で殴られる役割でした。父のストレス解消用のサンドバックが、私の家庭での存在意義でした。

殴られてもヘラヘラした態度だから、ダメージを受けてないんだからもっとやってしまえと父に思わせることに成功していたのでは?

つらいことを自分にも人にもごまかせたから、殴られる役割を10年以上果たせたわけです。

父に人格否定されたときに、本気でダメージを受けた態度をとっていたら、父は私を殴らなかったかもしれない。母が止めてくれたかもしれない。

平気そうにヘラヘラしている私を見て、妹も姉には余裕があると思っていた。

妹には「お父さんに殴られていたお姉ちゃんよりも、全く相手にされなかった私の方がつらかった」とも言われています。それ、どっちもつらいよね。比べる必要あるかな?

このあたりに関して母からは、「それ(父に殴られること)が、あなたとお父さんとのコミュニケーションの取り方だと思った」と言われたことがあります。これは、ここまでの推理を肯定する言葉ですね。

歪んだ家庭だねーとしか、今となっては思わないや。関わらないのが一番です。

まとめ

この文章を書いていて、40歳が見えてきてもまだ子どものころの後遺症が残っているのか、と思いました。

不満やつらさや怒りを溜めて、ある日突然爆発したり潰れたりするのが迷惑極まりないのは経験して知ったので、小出しにするように気をつけています。

余裕があるうちに小出しにすれば、言い方に気をつけられるし、周りから見て全然マシなんですよね。

でも、小出しにしようと気をつけているのは意識の上のことなので、出してはいけないと無意識に抑える部分が残っているようです。

気づくことで初めて修正できるようになるので、気づくのはほんとに大事です。

それでは!

今回も音声入力してみました。構成をしっかり作らないと話せませんね。話すのはやっぱり苦手です。

話すのが苦手!の克服にスマホの音声入力で練習してみよう


こんにちは! くずなつ (@kuzunatsu)です。

今日は新しいことに挑戦してみようと思ってiPhoneで音声入力しています。

私は話すのがすごく苦手です。

音声入力を少し試してみて、いい練習になるんじゃないかなと感じたので、しばらく続けてみようと思っています。

その理由をまとめます。

いつもよりも余計におかしい文章になってるかもしれませんが、ご容赦ください。

話すのが苦手です

私は話すのが本当に苦手です。

知能検査結果からわかるようにワーキングメモリが少ないので、話している途中で目的を忘れてしまったり、別の話に脱線して戻れなくなったりします。

目的を忘れた場合は、頭の中が真っ白になって話せなくなります。昔はためらわずに脱線してたんだけど、色々痛い目にあって黙るようになりました。

「1分間で自己紹介」みたいなのは、とくに苦手です。

時間制限があるのもつらいし、その中で起承転結をつけるのはもっとつらい。笑いを取れる人ってすごいよね。

私は事前準備なしで話すと、時間制限をオーバーした上に、何を言っているのかわからなくなります。

こういうときは、自分の番が回ってくるまで必死にメモ帳に台本を作ります。書かないと考えられません。

音声入力が練習になると思ったきっかけ

もともと音声入力自体は知っていて。Siriとか。

でも、スマホに向かって話しかけるのは恥ずかしいじゃないですか。ほとんどやったことなかったです。

今、産業カウンセラーの養成講座に通っているのですが、そこで自分のカウンセリングを録音することがあって、それで会話する以前に変な話し方してる気がして。

音声入力してみれば、自分の変な口癖とか一方的でわかりづらい説明や報告の仕方を練習して改善できると思ったんです。

人と会話する以前の部分ですね。

音声入力で練習できそうなこと

もう少し具体的に、音声入力で練習できそうなことをあげてみます。

というか、もうすでに今この入力をしているだけで、語尾が長くなるクセがあるのに気づきました。「〜してしまったり」を何度も使ったり。大体の場合は「〜したり」で大丈夫ね。

……あまりにもヒドイので耐えきれなくて整理してしまいました。

文章になると客観的にチェックできますね。録音を聞いたときみたいに「自分の声が変!」ってダメージを受けないのは良いところですね。

そもそも聞き取れる大きさで話せているか

自信がないと声が小さくなります。それで何度も聞き返されてイライラさせてしまった(内容までたどり着けない)なんてことがありますよね。

でも、どのくらいの声を出せれば良いのかわからない……滑舌も悪いかも?

そんなとき、音声入力できちんと認識されているかが目安になりそうです。

試してみるとわかるのですが、小声でボソボソ話すと認識されなかったり、全く違う単語になったりします。

合格ラインがわかると練習しやすいです。これはSiriと話すだけでも確認できますね。

説明の過不足チェック

説明がわかりづらいと言われるのは、情報に抜けがあったり、必要ない情報をごっちゃに伝えているからです。

何かの説明を音声入力してみて、必要な情報が含まれているか、余計なことを言っていないか文章で冷静にチェックしてみると良さそうです。

伝え方の枠組みは色々あるので、それをチェックリストに使うと客観的な評価ができそうです。5W1Hが含まれているかとかですね。

口癖や方言のチェック

私みたいに、口癖で語尾が長くてまどろっこしかったりすると、音声入力した文章を一目見ただけで長く話しているわりに意味のあること言ってないのがわかります。

あとは、方言を消したいけど出ちゃってる気がする場合も有効ではないでしょうか。

発声練習

最近しばらく誰とも話さなくて話し方を忘れてしまいそう……というときの発声練習にもなる気がしてきました。

あえて、TwitterやLINEを音声入力してみると良さそうです。

最低限の声量があって滑舌が良くないと認識されないので、声帯を使ったという履歴にはなりそう。

人と話さないと、頭の回転も声もどんどん退化してしまう気がします。退化する速度を弱めるくらいはできそうです。

これは単に音読でも良いかもしれないです。

文体変更

なんとなくですが、フリック入力やキーボード入力よりも、音声入力の方が柔らかくてサラッと読める文章になっている気がします。

私は文章が怖くなりがちなので、そういう意味でも音声入力は悪くなさそうです。

まとめ

話すのが苦手な人は、スマホの音声入力で練習すると良いかも!という思いつきでした。

個人的な妄想としては、電話がかかってくる音声に口頭で応答して、言われたことをまとめて人に報告したり取りついだりを練習ができるアプリがあると、電話苦手な私にはうれしいです。

採点の仕方を練る必要がありそうですが、もうあったりする?

こうやってアイディアばかり出て、具体化する時間が追いつかないのが通常運転です。

やりたいことは少しずつしか進められないので、いったん生活パターンを整えたあとに、iPhoneアプリを作ってみようと思っています。とりあえず、朝、遅刻しない時間に家を出るアプリが優先。私が欲しいので。

こんな感じ↓でボチボチ進めていきます。

http://maishin.hatenablog.com/entry/2017/06/01/131306

ちなみに、音声入力はiPhoneだったらキーボードのマイクのボタンを押すと試せます。ぜひ一回やってみてください。

あと、私の場合は声を出して恥ずかしくない場所さえ確保できれば、音声入力はフリック入力よりも断然楽で早いことがわかったので、ブログの入力方法として続けてみようと思います。

ブログが続けやすくなって、話し方や滑舌も改善されそうなんて、私にはすごくうれしいダブル効果です。

このアプリを買ってしまいました。時間制限がないのと、Siriより表示が早いです。

音声認識メール クラウド

音声認識メール クラウド

  • Advanced Media,Inc
  • ユーティリティ
  • ¥120

しばらく続けてみて、効果があったらまた記事にしますね。

それでは!

発達障害の親は救えない…本『子は親を救うために「心の病」になる』の感想

表紙

こんにちは! くずなつ (@kuzunatsu)です。

私は、発達障害だと思われる父から暴力を振るわれて育ち、20代中ごろをメンヘラとしてすごしました。

10年以上経ちましたが、その時期の精算がまだ終わっていない気がして、タイトルが気になったこの本を手に取りました。

『子は親を救うために「心の病」になる』です。重すぎるタイトル。

今回は、発達障害の親に育てられた子どもの立場からレビューします。

著者の紹介

著者は、高橋和巳さんという精神科医の男性です。都内でクリニックを開業されているそうです。

精神科医にはめずらしくカウンセリングに力を入れている方で、カウンセリングをテーマにした著書が複数あります。

鋭い分析ですが、愛のある優しいまとめ方で読みやすい文章を書かれる方です。

本の構成

全5章で、1章ごとに1人のカウンセリングがまとめられています。

  • 1章:子の引きこもり
  • 2章:子の摂食障害
  • 3章:親から子への虐待
  • 4章:親が発達障害

1、2章は親がマトモなのでハッピーエンドです。3章も、モヤモヤする感じはありますが一応良い方向です。

4章が気になりますよね?

4章ははっきり言って、親が発達障害と思われる私には救いがなく感じられました。でも、現実だと思うので、4章を紹介します。

内容紹介

うまく生きていけない

4章の相談者は、会社員の恵子さんです。

「何か、うまく生きていけないんです」

と訴えます。でも、著者にはよくわかりません。

彼女の訴えは、フワフワととらえどころがなかった。苦しいとか、悲しいとか、痛いとかがない。

さらに続く恵子さんの悩み。

「私の劣等感は、『普通じゃない』ということです。人と違う自分が怖い……。」

わかる感じになってきました。

仕事はミスしないようにいつも緊張しています。普通にできるように、こうしていれば普通、と思って平気になるように緊張してきました。

「普通」を追い求めて生きているけれど、自分が「普通」ではないことに気がついている。それが苦しい。

母親の奇行

話は、恵子さんの母親の話になります。

「母親は、人の気持ちを察することが出来ないんだろうと思ってきました。『いつも自分は悪くない、悪いのは全部周り』で……、反省するということがない人でした」

いくつかエピソードが出てきます。

  • 理由がわからないが突然怒る
  • 彼氏とのドライブに着いてきた
  • お葬式での失礼な発言

私は、父に電話を盗聴されたことがあります。ベッドで寝ている夜中に怒り狂った父に殴られ起こされたこともあります。被ります。

著者は恵子さんの母親は発達障害だろうと考えました。

親が発達障害の場合の問題

親が発達障害の場合の子育ての分析が続きます。

衣食住の世話はしてもらったが、精神的なケアを受けることが全くなかった。つまり、褒められたり、叱られたり、甘えさせてもらったり、厳しく教えられたり……という親子の交流がなかった。それが、心の成長に致命的な「傷」を残した。

致命的な「傷」。

毎日、子どもは母親の反応をみる。それを基準に自分を知る。自分はいい子であるか、悪い子であるか、そういう自分がわかる。しかし、恵子さんには、母親のポジションをとってくれる人がいなかったので、彼女は自分はいい子なのか、悪い子なのか、上手くできたのか、できなかったのかがわからなかった。彼女は自分が誰なのかを確認できなかった。

親が社会の共通の理解、つまり「普通」を教えられないので、子どもも「普通」がわからない。自分がどんな人間なのか、ここにいても良いのか、わからなくなってしまう。

致命的な「傷」は回復しない

恵子さんは、悲しい結論にたどり着きます。

「自分が無条件にここにいていいという実感が持てません。『みんなと一緒』がないんです。でもそれが自分の努力では埋まらないと分かりました。」

「何も解決しないことが分かりました」

親と話し合ってもムダで、わかってくれることはない。むしろ責められたと受け取られて攻撃されてしまう。

自分が『みんなと一緒』に「普通」になるのも無理で、問題がわかっても解決できない。

傷は傷のまま現実をただ受け入れるしかないんです。

この本のタイトルは『子は親を救うために「心の病」になる』だけれど、子は発達障害の親を救うことはできないという結論になっています。

発達障害の親は変わらないし変えられない。諦めるしかない。

どう生きていくか

恵子さんは、親も、社会の中で生きていくことも諦めて、あるがままの「存在」に従って生きていくという決断をします。

むずかしい言い回しですが、「普通」にこだわらずに自分の気持ちに正直に生きるという意味のようです。

「普通」がわからないのに「普通」に生きるには、知識だけの社会適応をしないといけない。それは苦しい。

でも、個人的な感想としては、社会で生きていくためには知識だけの社会適応を続けるしかないと思うんですよね。そうでないと会社勤めはできないように思います。

現実がわかった分、悩んでいた時期よりは楽になったかもしれません。でも、結局ムリしていくしかないような気がしています。少なくとも私はそうだな。

まとめ

子は発達障害の親を救うことはできない。発達障害の親は変わらないし変えられない。諦めるしかない。

重いし救いがないですよね。そこまで割り切るのはものすごく大変です。

私の場合は、発達障害なのは父なので、この本のケース(発達障害なのは母)よりは多少マシだったのかもしれません。それでも割り切れたと感じたのは30歳を越えてからです。

その前に「私が生きているのは悪いことじゃない」と思えるようになったり、いくつかの段階がありました。

ちなみに私の父は、「完璧な子育てをした良い父親」と自己評価しているそうです(母情報)。自分が見えていませんね。

これを私に伝えた母にも問題があるよね。その辺りは現在進行形で分析中です。私は母を乗り越える必要がある気がしています。

精算ができていない部分はまだまだありそうです。

最後に。

私個人の考えとしては発達障害があっても自覚があれば変わることができると信じています。

自覚なく歳をとったら、子どもに指摘されても素直に認めることはできないという話なんだと信じたいです。

ADHD当事者が考えた『子どものころにやってほしかった』こと

考える こんにちは! くずなつ (@kuzunatsu)です。

「親からはもっとこうしてほしかった」的な目線で書いていただけると嬉しいです

というコメントを、中学生の娘さんをお持ちのお母さまからいただいて、いろいろ考えていました。

ハッとしたこと

わたしは発達障害があって毒親に暴力を振るわれて育ったわりには、よくできた人生を歩んでいる方です。

大学院を出て、正社員で就職して、結婚して、家を買って、子どもを産んで、復職して……超氷河期世代なので、職場関連以外の知り合いにはほとんどいません。

つまり親が私を育てた方法は間違いだと言い切れないことに気づいてハッとしました。

人生万事塞翁が馬というやつですね。

※ 塞翁が馬(さいおうがうま) というのは「人生での幸不幸は予測できない」という意味の中国の話で、私が就職したてのころに希望の配属ではなかったのをグチった人に言われた言葉です。

塞翁が馬だったこと

今そこそこうまくいっているのは、私個人の特性や能力、環境や運などがハマったもので、一般化はできません。

ムリヤリ一般化できそうなのは、社会に出る前にたくさん失敗したことくらいでしょうか。

わたしは先が読めないので、失敗したことからしか学べません。これはADHDの特性だと思います。

うつ病での留年などの挫折なしで社会人になっていたら、社会人の最初の失敗で退職していたかもしれません。

でも、必ず立ち直れるとは限らないので、たくさん失敗させることをオススメする気にはなれません。

できればやってほしかったこと

ADHD傾向の強い本人が、自分ではたどり着けないだろうことがひとつ思い浮かびました。

人との約束の大事さを叩き込んで欲しかった

ADHD傾向が強いと短期的な記憶力がないので、人と約束をした次の瞬間に忘れてしまいます。

ちょっとした約束を何度もすっぽかして人を雑に扱うので、人から雑に扱われるようになります。

恐ろしいことに、興味があることだけは覚えているので、自分の利益だけを考えている人に見えます。

指摘されても、話しているうちに目的を忘れてしまうので、あやまれずにヘラヘラしたり変な言い訳をして逆ギレしてしまいます。

これは小さな頃からの当たり前なので、おそらく自分では気づけません。周りが自覚させるしかありません。

わたしがどうやって気づいたか

さらに進むと、周りが全部悪いと思い込んで他責的になったり、「ハイハイ私が全部悪いんです」と思考停止してふてくされたりします。

嫌われているのには気がつけるので、うつ病などの二次障害になります。認知の歪みが原因なので、自覚しないと抜け出せません。

私は社会に出る直前に、目上の社会人から一時間ほど叱られる機会があって気づけました。

叱られたというか、原稿の締め切りを破ってヘラヘラしていたわたしに、これまでわたしがやってきた無責任な行動の悪影響がおよぶ人の範囲と、その一人一人がどういった被害を受けるのか説明され、言い訳を全て論理的に叩き潰されたのです。

ここまでやってもらわないと、自分がおかしいと気がつけなかったのです。

人からどう見えるか教えて欲しかった

では、具体的にどうするかという話。

小さなころから『今の行動が人からどう見えるか』と『そういうときどうするのか』を教えてもらいたかったです。

発達障害者は、自分を客観視するのが苦手で空気も読めないので、人付き合いはパターンとして覚えるのが基本です。ソーシャルスキルトレーニングの話です。

ただ、中学生くらいだと、親から指摘されて素直に聞けるかというとむずかしそうです。メンター的な人(信頼している部活の先輩や、塾の先生など)からなら聞けるかもしれません。

こういう本を目につくところに置いておくのも良いかも。簡潔だし漫画なので読みやすいです。

でも、ASD傾向が強いADHD併発だとすると、習ったルールを守らない周囲への怒りが出ると思うので、先に特性をはっきりさせた方が楽かもしれないです。

人からは逃げられない

親がするには難しいことを書きましたが……。

どんな進路を選んでも、人の繋がりからは逃げられません。

悩みは対人関係から発生するものが多いのでみんな悩み続けるしかないですが、人間関係について「自分で考えなさい」と言われてもわからないのが発達障害。

考えてもわからない人に『今の行動が人からどう見えるか』を伝えるためには、当たり前すぎて言葉にしないことを言葉にする必要があります。超めんどくさいです。

人付き合いのパターンが蓄積されると、ちょっと変わってるけど悪い人じゃない(積極的に嫌がらせされない、本人も周りに無理に溶け込もうとしない)くらいの位置に収まることができて、生きていくのが楽なんじゃないかなと思います。

子供のころにソーシャルスキルトレーニングをうけたかったなぁ。人付き合いは経験で上手になるので、結局そこなんだと思います。

『頑固・屁理屈・柔軟性がない』とADHD傾向の人が職場で言われたときの理由と対策

『頑固で柔軟性がない』『屁理屈』『納得しないと動けない』などと言われたことがありますか?

私はあります。

当時はまだ就職して間もない時期で、指示されたことを何でもやろうと意識していたので、指摘してきた人がなぜそう感じたのかすごく不思議でした。でも理由を聞いたらもっと怒られました。

色々思い返す機会があったので、何がそう感じさせていたのか、どうすべきだったかをまとめておきます。

当時の状況

当時は、一番最初の上司の下で働いていた、まだ新人扱いの時期でした。

私は面接のときに言われた配属先ではなかったので、何がわからないのかわからない状況でした。

職場だとExcelとWordが主ですが、その使い方がまずわかりませんでした。出張などの管理システムも独特で見たことのないものでした。

自分が社会性が低く一般常識がないことはわかっていたので、仕事術の本などを読み漁って追いつこうと必死でした。

本やネット上の知識から『5W1Hを明確にする』のは当たり前だと思っていました。いや、これは今もそう思っています。

「この図を作ってくれ」に「はい、わかりました」と答えたあと、何のプロジェクトのどこに出す資料に使う図なのか、締め切りなどを質問していました。とにかく理解した上で進めたかったんです。

負担の大きい聞き方をしていた

どんな聞き方をしていたか、もっと単純な話にして、コピーを依頼された場合で説明します。

  1. 原本はどれか
  2. 予備も含めて何部必要か
  3. いつまでに欲しいのか
  4. 両面か片面か
  5. ホッチキス留めはどこにするか

このくらい説明があれば新人でも動けるはずですね。

当時の私が動くのに必要だった情報はもっと多かったです。こんな感じ。

何月何日の何の会議に使う資料だから何日の何時までにコピーして欲しい。誰が来るから何部必要で、紙の節約のために両面で、開きやすいように左上に斜めにホッチキス留めしてね。

めんどくさっ。

上司と上司の秘書さんは、私が仕事をやりたくないから断る理由をつけるために聞いてくる、非常に反抗的な態度の生意気な新人だと思っていたそうです。

↑これを直接聞ける仲になれたのは奇跡です。

「普通の人」は「そういうものだ」で動ける

私が動くために必要な情報が、普通の人たちとは違ったというオチです。

この情報の中で、私にとって特に重要なのは太字部分です。

何月何日の何の会議に使う資料だから何日の何時までにコピーして欲しい。誰が来るから何部必要で、紙の節約のために両面で、開きやすいように左上に斜めにホッチキス留めしてね。

そう、目的と理由の方が重要なんです。むしろ何部とか両面とかの細かい指示がマイクロマネジメントに思えます。

普通の、いわゆる定型発達の人たちは理由がなくても何となく動けるんですよね。それが空気が読めるとか、自分で考えて動けるということです。実は考えていないのに。

理由や目的を聞くのは、普通の人たちにとって「反抗的な態度」に見えます。

ADHD傾向が強いと、衝動性を抑えたりやる気を出すためには、全ての行動にひとつひとつ筋の通った理由が必要です。

また、興味のあることしかできないので、目的がわからない指示には興味が持てず、苦痛です。

目的がわからない指示をもらうと、優先順位がつけられないことと興味が持てなくて先延ばししてしまうことの相乗効果がおきて、普通の人から見てメチャクチャな動きをします。しかもつらい。

でも、理由の説明を普通の人たちに求めると露骨に嫌がられるのです。普段言葉にしていない部分を言葉で説明するのは負担が大きいことで、必要性も理解できないため、嫌がらせをして反抗しているように見えるからです。

どうすべきだったか

完全に普通に振る舞うための「正解」は、ADHDの私には判断がつかないので、今どうしているかです。

「確認する」のが「ゼロから聞く」より正解に近いです。

書くと当たり前になってしまうのですが、できる限り情報をつなぎ合わせて、自分が今何に巻き込まれているのか知っておくということです。

雑談の中で細切れに聞いていることも多くて、でもそこから目的や締め切り、それぞれのプロジェクトのつながりなどを察することができていませんでした。

説明済みなのに何でまた説明させられるのかと上司が感じた場合も多かったでしょう。

「何のためですか?」ではなく「あのプロジェクトのこの会議の資料ですね?」と、はいかいいえで答えられる形で確認することで相手の負担を小さくできます。

私が具体的にどうしているか

私の職場では、部のマスタープラン、課の年間計画、ほとんどのプロジェクトの仕様書は平社員でも見ることができます。

一年ほど経って、私がプロジェクトを立てられる立場になってからこの説明を受けてガックリしました。

※ おそらく「新人だからまずは目の前の仕事を覚えさせよう」と上司は考えていたのでしょう。逐次での目的のない指示は、私の負担を減らすための心遣いだったのです。私はつらかったけれど。

これを知ってから、自分が関わる全ての計画を並べて、自分の仕事のひとつひとつがそれぞれの計画のどこに位置するのか書き出すようになりました。

毎日更新することで、自分に関わる周囲の人が動いている目的や、今日誰が何の締め切りに追われているのかを把握できるようになりました。

最初のころはコピー用紙をつなげて巻物を作っていたのですが、変な目で見られるので、TaMa5というWindowsソフトを使うようになりました。もちろんExcelでも良いし、今ならBrabio!などのガントチャートのwebアプリを使うのも良いと思います。

全ての職場に適用できる方法とは全然思いませんが、可視化することで見えるものはあります。

面倒だけれど、周りとやっていくには負担は自分が負うしかありません。

まとめ

文章を読んでおわかりのように、私は何をするにも筋の通った説明が必要で『頑固で柔軟性がない』『屁理屈』『納得しないと動けない』と言われても認めるしかないめんどうな人です。

どんなに望んでも空気に操ってもらえないので、「普通に働く」には普通の人には必要がない手段で埋め合わせる必要があります。

ここで書いた今の方法はまだ力技で、手間と時間ががかかります。時間がかかる分、仕事が人より遅くなるというデメリットがあります。

気づいて分析することができれば、埋め合わせられる一例でした。もっと良い方法はありそうですね。

それでは!

怒ったことに後悔しないための本「怒らない伝え方」の紹介

手持ちの本の画像

こんにちは!くずなつです。

自分の怒りや人の怒りに振り回されて、余計なことを言って後悔することがありますか?

カチンときたときでも、伝え方を工夫すると自分も相手も嫌な思いをしなくてすむ。そんな伝え方の入門本の紹介です。

AD(H)D傾向が強くて感情があふれがちの方でも、伝えないで我慢して爆発するより、小出しに伝えた方があとに引きずらないので試してみる価値があります。

著者の戸田久美さんは、日本アンガーマネジメント協会の理事で、コミュニケーションをテーマにした研修や講演を行っている方だそうです。伝え方のプロですね。

最近読み返してすごくしっくりきたので、印象に残ったところを紹介します。

怒るのは悪いことではない

まず最初はコレです。

怒ることに罪悪感をもってしまうのは
1 怒ること=恥ずかしいこと、と教育されてきた人が多いから
2 怒ること=悪いことという経験をたくさんしてきているから
(p.26)

実際、強い感情をそのまま出す人はイヤがられます。面倒な人子どもっぽい人と避けられます。それが分かるから感情を出さないように自分を訓練していくことになります。

そのまま何年もがんばっていると、自分の感情がわからなくなります。

湧いてくる感情をどう扱えばいいのか、そしてそれをどう相手に伝えればいいのか、方法を知らないから、戸惑ってしまうのです。(p.8)

怒ることは誰でも当然あることです。でも伝え方がわからないまま溜めこむと、ある日とつぜん爆発して、ドン引きされてしまったりします。

大切なのは、

怒ることと怒る必要のないことを区別すること!
怒らなければいけないことはきちんと怒り、怒る必要のないものは怒らずにすむようになること!(p.26)

です。怒るのは悪いことではないのです。

怒りとは何か

怒りは、自分の期待、理想が裏切られたとき、そのとおりにならなかったときに生まれる感情(p.29)

「普通はこうするよね?なんでできないの?」「こうするのが常識だろう!」と怒られたことがありますか?私は何度もあります。

その人の中の「普通」と私の「普通」が違ったから、相手は怒っているわけです。

逆もあって、以前は周囲にたいして「私をバカにしている」と感じて何度も怒ってきました。

おたがいに相手に期待しているのですよね。しっかりとした別々の理想があるんです。

私は「普通」がわからなくてずっと悩んできましたが、アラフォーの今の結論は、「普通は人によって違うから伝えてくれないとわかりません」です。

これ、私が発達障害だからとあんまり関係ないよ。この本は非発達障害の人たち向けの本なので、みんな悩んでいるんです。

話し合えればおたがいの理想に歩み寄ることができます。そのために反発されない伝え方は重要です。

怒らない伝え方

ポイントが10個ありますが、抜粋します。

2 自分の本当の気持ちを言葉にする(p.73)

怒りのウラには、自分の期待や理想が裏切られて悲しいといった、本当の気持ちが必ずあります。怒っていると伝えるより「悲しかった」「さみしかった」と素直に伝える方が響きます。

4 注意するときは、何がどう変わって欲しいのかを具体的に伝える(p.75)

「普通」「常識」といった人によって違う言葉を基準に使わないということです。

例えば、以前私がバカにされたと感じた状況なら「普通こういうときに何も言わずに無視する?」と責めるのではなくて「こういうときはありがとうと言って欲しかった」と言えば良かったということです。

5 「私はこう考えています」という言い方をする(p.76)

「みんなそう思ってる」と言われたら、責められたと感じると同時に「みんなって誰だよ」と疑心暗鬼になってしまいます。

「私はこう思った」という言い方だと、責められたと感じにくく、思ってもみない受け取られ方をしづらいです。

人にバカにされたと感じたときにどうするか

例として挙げるには重いかもしれません。

自分に自信がないと「人にバカにされた」と感じる機会は増えます。

発達障害があると周りとくらべてできないことが目立って指摘されやすいので、さらに増えます。

こういうときに怒らずに伝えるためには、自分が「バカにされたと感じて怒っている」ことに気づけるかが重要です。

また、相手のどの発言をバカにされたと感じたか、相手にどう変わって欲しいのかまで自分で考える必要があります。自分の理想の状態は自分にしかわかりません。

とても負荷の高いことです。いきなりその場ではできません。でも、自分にとってすら負荷が高いことを相手に察しろというのは無茶です。

そのため最初のころは、具体的にはこんな感じになると思います。

1 何度か相手の発言にモヤモヤする。でも流してしまってモヤモヤが続く。
2 自分は相手に怒っているんだと気づく。
3 相手のどの発言に自分が怒ったのか考える。
4 指摘するかを決める。
5 伝え方を決める。
6 頭の中で何度もリハーサルする。
7 実際に同じ状況になったら、言ってみる。
8 言い方が良かったか考える。

ちなみに、この本には状況別でたくさんの伝え方が載っているので参考になります。全く同じ状況があればそのまま試してみると、怒ったときとは違う反応が返ってくるのがわかるはずです。

例えば、こういうの。

自分から謝ろうとしない相手に、意見を伝えたい(p.168)
× 「あなたの言っていることはおかしいですよね!?」
○ 「○○さんは、そうお考えなのですね。私としてはこう考えています」

批判する必要はなくて、あなたの考えはあなたの考えとして認めるから私の意見も聞いてね、ということですね。

ここからこじれたら。

明らかに相手が過失を犯したのに謝ってこない(p.169)
× 「なんでそっちが悪いのに謝らないんですか!?」
○ 「このことに関しては、ひと言、お詫びが欲しかったんです」

責めると反撃されるだけなので、伝えたいことだけを反撃されないように伝えるということですね。

ちなみに、脳内リハーサルした場が回ってくると、結構うれしいですよ。

個人的な感想

本質を理解して自力でやるのはむずかしい

最初に読んだときはなるほどと思って、マニュアルとして参考にしていましたが、実はあまり飲み込めていませんでした。

感情を大事にすることについて深く理解できたのは、産業カウンセラーになる勉強をはじめてからです。基本中の基本としてたたき込まれます(笑)。

自分が怒っている理由を言語化するのはむずかしいことです。そもそも怒っているのに気づくのがむずかしいときもあります。

「私の考える理想の通りに相手が動いてくれなかったから私は怒っている」と認めるのは、自分の考え方のゆがみを直視することになるので、すごく痛いです。

「私は正しくて、相手がおかしい」と相手を責める方が楽なんです。

そういった考え方は言葉や態度に出るので、相手も自分は間違っていないと主張せざるをえなくなります。相手も自分がおかしいと認めるのは痛いからです。

こういった言語化はカウンセラーの専門領域なので、カウンセラーに相談できると自力でがんばるよりスムーズです。指摘の強弱も気をつかってくれるし(←ココが今の私の課題です)。

自分の機嫌をとる方法をいろいろ試してみよう

みんな感性が違うし、どんな方法が合うかはやってみないとわかりません。

でも、溜めた怒りを爆発させたら後悔するし、爆発させた相手とはうまくいかなくなります。

自分の機嫌を自分でとれるのは大事です。

怒りが生きる原動力になることもあって、私もそうしてきたので、使い方次第でもあるのだけれど。

ストレス少なく生きていくためにも、自分の機嫌を自分でとれるようにいろいろ試してみて損はないです。

私もいろいろ試してきているので、紹介していきますね。

それではまた!

春のパン祭りのお皿はモラハラ夫を持つ母を救っていたのかもしれない

去年の春のパンまつりのお皿

こんにちは! くずなつ (@kuzunatsu) です。

春のパン祭りの季節です。ご存知ですよね?パンにはってあるシールを集めて、白いお皿をもらうヤマザキパンのキャンペーンです。

これがはじまると毎年思い出すことがあるのでまとめてみます。両親のことです。

私の父はモラハラだった

私が父のストレス解消用サンドバッグだったことはときどき書いていますが、母にはモラハラを沢山していました。

具体的なことは沢山あるのですが、一番は母を専業主婦にしていたことです。

あっ、専業主婦がみんなモラハラを受けていると言っているわけじゃないよ。なりたくない人に強要したのがモラハラということです。

私の母は、家族の成果を自分の成果と思えない人です(私もそうです)。

夫がよい仕事についていることや子どもの成績がよいことは母がどれだけ貢献していたとしても母の満足につながりません。

母自身が社会に直接認められたかったんです。

時代背景的には、夫が妻に専業主婦になってくれという話はよくあったことだと思います。でも、自分が働くことで社会に評価されたい女性にはつらいよね。

父の決めゼリフと「節約」

父がよく言っていた決めゼリフがあります。

誰が食わせてやってると思ってるんだ」です。

自分の希望で妻を専業主婦にして子どもを作っておいて何を言っているのだと、自力で食べられる今の私ならつっこめますが、当時はつっこんだら多分死ぬので黙るしかありませんでした。

「じゃあ自分で自分の生活費を稼ぐようになろう」と子ども心に思っていました。

当時、父はそこそこの年収がありましたが、山を衝動買いしたり、株で損したりして余裕はなかったそうです。当然生活費への締め付けがありました。

ここでやっと春のパン祭りにつながります。

実家で使っている食器は、春のパン祭りと100均のものばかりでした。

割り箸を洗って再利用していたし、家は床がフワフワで抜けそうだったし(シロアリ)、貧乏なんだと思ってたけれど、父が目につく範囲で「節約」を指示していたようです。

ちなみに離婚は、子ども(私以外)が泣いて止めました。私は賛成した記憶があります。私だけがサンドバッグだったので。

春のパン祭りのお皿の思い出

春になると、母がシールを集めて白いお皿をもらってきました。

母がそういうのが好きなんだと思っていましたが、たんに買うお金がなかったようです。

家族の人数分のお皿がもらえるだけのシールを期間内に集めるのは無理なので、毎年2〜3枚ずつ違うデザインのお皿が増えました。

ちなみに、春のパン祭りのお皿は今みたいにシンプルではありませんでした。100均のお皿もシンプルではなかったです。花柄のポットや炊飯器が家に残っていた時代の話です。

家族でテーブルについたときのそれぞれの食器は、にぎやかなデザインでバラバラでした。

それが当たり前だと思っていたけれど、母は同じお皿を人数分そろえたかったと大人になってから聴きました。

母にとっては、ちゃんとした食器を買いたくても怒られるだけで買えなくて、怒られずにそれなりの食器を手に入れる手段だったのです。

なんだかすごく悲しいと思ってしまいます。

でも、私の母のほかにも、モラハラ夫を持った妻には春のパン祭りをたよっている方がいそうです。生活必需品が抽選ではなくて必ずもらえるのは、ありがたいよね。

春のパン祭りは福祉なんだ……!(考えすぎ)

母は一番下の子どもが小学校を卒業したあとに父に反抗して働きはじめました。専業主婦のあいだに独学で資格を取りまくったのが役にたったようです。父は勉強することには反対しない人なので、そこが唯一のスキだったのです。

思い出すキッカケ

なぜ毎年そんなことを思い出すのか。

私の夫がシールを毎年集めて、一枚だけお皿をもらってくるからです。こういう全員プレゼントが好きなようで、パスコのトートバッグも毎年もらってきます。

私も雑誌の全プレが好きだったので、気持ちはわかります。

でも、一枚だけのお皿は収納しづらいし使えないのに、喜んでいるから捨てづらいです。たまに夫の食器として使います(通じないイヤミ)。

今年も集めているのを発見してしまいました。しかもお皿1枚分貯まってる!

春のパン祭りのシール台紙
24ポイントでお皿が1枚もらえるよ!

まぁ、こういうのをネタにする程度には笑っているので、場所をとられる以外は大した問題ではないです。

ちなみに、母は60代の今も専門職としてイキイキと働いています。父は定年退職してからわりと穏やかな雰囲気になりました。父はもとから話ができないし生活能力もないのでボケても誰も気づけなさそうですが、今の方が幸せそうです。

現役中はおそらく、大黒柱であることがつらかったのだと思います。

それで子どもに暴力を振るうのが許されるかというと全然別の話だけれど、状況は想像できます。

夫にしか話したことがない本当にどうでもよい話で、まとめてみた私がビックリでした。

それではまた!