Maishin

ADHDワーキングマザーの子育て自分育て

大人のADHDでACで仕事依存症だった私が母親になって考えていること

最近いろいろ考えていることです。

結局、親としてのスタートラインにやっと立っただけかも。

仕事依存症だった過去

結婚前の仕事の話からはじめます。

過去、就職して数年は理解ある上司に恵まれていました。希望通りの就職ではありませんでしたが、月に一度くらいのペースで海外出張があり、男性と同じ条件で働く少しハードな仕事内容でした。

私はADHD(非公表)なのでスケジュール管理は下手でしたが、締切に追い詰められたときの過集中頼りで何とか仕事を回せていました。もちろん上司の手厚いフォローもありました。

私は虐待経験があり自己肯定感が低かったので、上司にほめられることや、結果が評価され給料に反映されることが「生きる原動力」になっていました。

当時、まだ結婚していなかった今の夫から「宗教にはまっているみたいだ」と言われるほど仕事にのめり込み、夫をないがしろにしました。私からはほとんど会いに行かなかった。

上司が退職されたこと、東日本大震災でいろいろ考えたことから、ずっと見守ってくれていた夫と籍を入れました。

その後、仕事を作る方に回ろうとしたのだけれど、本当にうまくいかなかった。男性主体の会社組織での女の動き方をわかっていなかったこと、ADHD特有の視野の狭さや思い込みが出ていたことなど、単純な経験不足の他にも理由は複数あると思っています。

子どもを欲しいと思うまでと妊娠出産

ずっと子どもはいらないと考えていました。

私自身が親から虐待されてきたので、まず子どもの扱い方がわからない。虐待は連鎖すると言うし、私も子どもをストレス解消のサンドバッグにできる人間かもしれない。それなら産まない方が良いと思っていました。

でも30代も半ばになり子どもを産める限界が近づいてくると、動物的な本能が「子どもを産め」と命令してくるのです。これには驚きました。また、夫に自分の子どもを持たせてあげられないのは私のエゴではないかとも考えるようになりました。

夫との共同生活がはじまっても、夫は私への態度を変えず穏やかなままでした。子どもができても変わらないだろうと確信できたので、「私が毒親になったら子どもを連れて逃げてくれ」とお願いした上で妊娠出産しました。

いざ赤ちゃんを産んでみると、自分のタイミングでなにもできないのがつらいなどいろいろありましたが、「小さいころの自分はどうされたかったか?」を考えると不思議なくらい問題なく対応できました。まさに子どもと一緒に私自身の育て直しをしてきた感じ。もちろん夫のフォローもあり、恐れていた暴力を振るうこともなく、子どもを心からかわいいと思っています。

仕事内容が単調でつらい育休復職後の今

復職後これまでの仕事に戻れず、データ入力や簡単な処理などの表に出ない仕事に回りました。

でも、ADHDなので正確性が問われる単調なデスクワークは苦手です。タイマーで無理やり作業をはじめることで締切に間に合わせ、チェックリストを作り込むことでミスの数も人並みにしましたが、普通の成果を出すために人よりも大きな努力が必要になります。

また私は目的の言語化なしでは動けず、意味を感じられない作業ができません。目的を聞くと怒る人を避けるくらいしか対策がないので、避けようがない今、もう少し何とかしたいところです。

今、忙しかったころよりも時間には余裕がありますが、精神的につらいです。明らかに苦手なことだけをやらされている。それでも残業や泊まりの出張ができる状況ではない以上、今の業務に甘んじるしかない。

元の仕事内容に戻ろうとしても、今の裏方作業で評価されなければ戻れないでしょう。普通の人は今の仕事内容の方が楽で、楽な仕事が普通以上にできるから難しい仕事もできると考えるからです。

でももしマミートラックにはまらなければすでに毒親になっていた

もしやりたい仕事に復職していたら、私は子どもと夫をおろそかにして仕事に熱中したと思います。最近気づいたのですが、K間和代さんのようになっていたと思います。

2009年ごろ、K間和代さんの本にはまりました。その後、娘さんのブログを読み、週刊新潮の記事を読み、2chのひろゆきさんとの対談とその後の炎上を見て、目が覚めました。前のふたつは今は読むことが難しいので、自戒のために対談の書き起こしの一部をリンクしておきます。


当時かなり批判されていたので覚えている方もいらっしゃるかもしれませんが、「視野が狭く」「考えが浅く」「思い込みが激しく」「自分の発言で人がどう感じるか考えていない」「自分の中で議論の持って行き方が決まっていて融通が利かない=話し合いができない」、それでいて自分よりも知識のある人に上から目線で挑んでしまう(自分の実力を過大評価している)という状況です。

恥ずかしいことですが、過去、仕事を取りに行こうとしていたころの私と被るのです。頑張りが空回りして意地になっていた自分と被るのです。K間和代さんは自称ADHDですが、この対談での一連の発言の浅さはADHDを追い詰めたときにありがちなものだと感じます。本人に困り感がなさそうだから自称のままだろうけど。

ADHDは裏表がなく正直です。つまりこういう会話をする人が母親になった場合、子どもに対してもやってしまいます。完全に毒親です。

私も復職後、表に出る仕事につき出張に追い立てられ時間がない状態が続いたら、今のようにいろいろ考えることなく子育てを人任せにしたと思います。

子どもの発達状況を理解することなく、子育てに参加していないのに高い目標を立て、無限の努力を求め、完遂させることを当然のように求めていたと思います。こういう責め方で。

それを考えると、今の私の状況を私が受け入れることは諦めではなく成長で、子どもを育てるために必要なことに思えるのです。私が成長することでしか、子どもの心は育たない。そして今の私の成長は仕事にはない。

今できること

子どもを産んだ以上、私が過去の仕事に戻ることよりも、子どもの自己肯定感を育てることが優先です。

子どもが親に殴られることが普通ではないと、はじめて知ったときのショックを未だに覚えていますし、せっかくの10代20代に「生きていてごめんなさい」と考えながらつらい日々を過ごして欲しくありません。

私には愛情のある子育てをしながらハードな仕事を続けるキャパシティはありません。

仕事をやめるという選択肢もありますが、社会とつながらず嫌な思いをする経験が減ると、ますます視野が狭くなり頭が硬くなります(半年間の引きこもりの実体験)。それも子どもにはマイナスだと思うので、何らかの形で社会につながる必要があると思っています。

仕事をセーブして続けつつ、仕事以外の面で子どもに合わせて成長する必要がある。その方法を模索しています。


追記: 「あなたのせいでママはやりたい仕事ができなくなったのよ」という言い方はしたくないので、中長期的には楽しいと思える仕事内容に移りたいところです。人と関わる仕事がしたいよ!

今は決断すべきときではなく、親になった女性ならではの「しなやかにたくましく」を学ぶ時期なんだと思っています。