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発達障害の親は救えない…本『子は親を救うために「心の病」になる』の感想

表紙

こんにちは! くずなつ (@kuzunatsu)です。

私は、発達障害だと思われる父から暴力を振るわれて育ち、20代中ごろをメンヘラとしてすごしました。

10年以上経ちましたが、その時期の精算がまだ終わっていない気がして、タイトルが気になったこの本を手に取りました。

『子は親を救うために「心の病」になる』です。重すぎるタイトル。

今回は、発達障害の親に育てられた子どもの立場からレビューします。

著者の紹介

著者は、高橋和巳さんという精神科医の男性です。都内でクリニックを開業されているそうです。

精神科医にはめずらしくカウンセリングに力を入れている方で、カウンセリングをテーマにした著書が複数あります。

鋭い分析ですが、愛のある優しいまとめ方で読みやすい文章を書かれる方です。

本の構成

全5章で、1章ごとに1人のカウンセリングがまとめられています。

  • 1章:子の引きこもり
  • 2章:子の摂食障害
  • 3章:親から子への虐待
  • 4章:親が発達障害

1、2章は親がマトモなのでハッピーエンドです。3章も、モヤモヤする感じはありますが一応良い方向です。

4章が気になりますよね?

4章ははっきり言って、親が発達障害と思われる私には救いがなく感じられました。でも、現実だと思うので、4章を紹介します。

内容紹介

うまく生きていけない

4章の相談者は、会社員の恵子さんです。

「何か、うまく生きていけないんです」

と訴えます。でも、著者にはよくわかりません。

彼女の訴えは、フワフワととらえどころがなかった。苦しいとか、悲しいとか、痛いとかがない。

さらに続く恵子さんの悩み。

「私の劣等感は、『普通じゃない』ということです。人と違う自分が怖い……。」

わかる感じになってきました。

仕事はミスしないようにいつも緊張しています。普通にできるように、こうしていれば普通、と思って平気になるように緊張してきました。

「普通」を追い求めて生きているけれど、自分が「普通」ではないことに気がついている。それが苦しい。

母親の奇行

話は、恵子さんの母親の話になります。

「母親は、人の気持ちを察することが出来ないんだろうと思ってきました。『いつも自分は悪くない、悪いのは全部周り』で……、反省するということがない人でした」

いくつかエピソードが出てきます。

  • 理由がわからないが突然怒る
  • 彼氏とのドライブに着いてきた
  • お葬式での失礼な発言

私は、父に電話を盗聴されたことがあります。ベッドで寝ている夜中に怒り狂った父に殴られ起こされたこともあります。被ります。

著者は恵子さんの母親は発達障害だろうと考えました。

親が発達障害の場合の問題

親が発達障害の場合の子育ての分析が続きます。

衣食住の世話はしてもらったが、精神的なケアを受けることが全くなかった。つまり、褒められたり、叱られたり、甘えさせてもらったり、厳しく教えられたり……という親子の交流がなかった。それが、心の成長に致命的な「傷」を残した。

致命的な「傷」。

毎日、子どもは母親の反応をみる。それを基準に自分を知る。自分はいい子であるか、悪い子であるか、そういう自分がわかる。しかし、恵子さんには、母親のポジションをとってくれる人がいなかったので、彼女は自分はいい子なのか、悪い子なのか、上手くできたのか、できなかったのかがわからなかった。彼女は自分が誰なのかを確認できなかった。

親が社会の共通の理解、つまり「普通」を教えられないので、子どもも「普通」がわからない。自分がどんな人間なのか、ここにいても良いのか、わからなくなってしまう。

致命的な「傷」は回復しない

恵子さんは、悲しい結論にたどり着きます。

「自分が無条件にここにいていいという実感が持てません。『みんなと一緒』がないんです。でもそれが自分の努力では埋まらないと分かりました。」

「何も解決しないことが分かりました」

親と話し合ってもムダで、わかってくれることはない。むしろ責められたと受け取られて攻撃されてしまう。

自分が『みんなと一緒』に「普通」になるのも無理で、問題がわかっても解決できない。

傷は傷のまま現実をただ受け入れるしかないんです。

この本のタイトルは『子は親を救うために「心の病」になる』だけれど、子は発達障害の親を救うことはできないという結論になっています。

発達障害の親は変わらないし変えられない。諦めるしかない。

どう生きていくか

恵子さんは、親も、社会の中で生きていくことも諦めて、あるがままの「存在」に従って生きていくという決断をします。

むずかしい言い回しですが、「普通」にこだわらずに自分の気持ちに正直に生きるという意味のようです。

「普通」がわからないのに「普通」に生きるには、知識だけの社会適応をしないといけない。それは苦しい。

でも、個人的な感想としては、社会で生きていくためには知識だけの社会適応を続けるしかないと思うんですよね。そうでないと会社勤めはできないように思います。

現実がわかった分、悩んでいた時期よりは楽になったかもしれません。でも、結局ムリしていくしかないような気がしています。少なくとも私はそうだな。

まとめ

子は発達障害の親を救うことはできない。発達障害の親は変わらないし変えられない。諦めるしかない。

重いし救いがないですよね。そこまで割り切るのはものすごく大変です。

私の場合は、発達障害なのは父なので、この本のケース(発達障害なのは母)よりは多少マシだったのかもしれません。それでも割り切れたと感じたのは30歳を越えてからです。

その前に「私が生きているのは悪いことじゃない」と思えるようになったり、いくつかの段階がありました。

ちなみに私の父は、「完璧な子育てをした良い父親」と自己評価しているそうです(母情報)。自分が見えていませんね。

これを私に伝えた母にも問題があるよね。その辺りは現在進行形で分析中です。私は母を乗り越える必要がある気がしています。

精算ができていない部分はまだまだありそうです。

最後に。

私個人の考えとしては発達障害があっても自覚があれば変わることができると信じています。

自覚なく歳をとったら、子どもに指摘されても素直に認めることはできないという話なんだと信じたいです。