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【母がADHD】娘に傷あとが残るケガをさせてしまいました

こんにちは、くずなつ (@kuzunatsu) です。

タイトルの通りの内容です。記事にするかすごく悩みました。

娘に申し訳ないし、わざわざ晒すことでもないのですが、ADHD母の反省という見方でまとめるのは意味がありそうに思います。

娘が公園で転びました

娘のお友達とそのお母さんがうちに遊びに来てくれたので、一緒に公園に行ったんです。

そこで娘 (2歳後半) が転んで、遊具の角で額を切りました。

泣き出した娘を抱き上げたのは、お友達のお母さん。私はついさっき娘が順番を割り込んだ親子に謝っていたので、見えるけれど手の届かないところにいました。

私は走り寄ってハンドタオルを出して娘の額から溢れ出す血を抑えました。それから「救急車を呼んで」と言われて、119番に電話しました。

娘と私が救急車に乗りました。お友達のお母さんはバスで追いかけてくれて、娘の着替えを病院まで持ってきてくれました。

私は何もできなかった

私はこのとき、ほとんど何も考えられませんでした。娘のケガを見てパニックとかではなく、ただ固まってしまった感じ。

経験したことのない状況になって考えられる限界を超えた、みたいな……? ワーキングメモリが少ないことと関係があるのでしょうか。

どうでもいいことは衝動性やら多動性やらですぐ動くのに、肝心なときはハンドタオルを出すくらいしかできなかった。

娘と二人で来ているときのケガだったらと考えるとゾッとします。お友達のお母さんがいてくれて良かったです。本当に助かりました。

縫いました

病院に着いてすぐに娘の額を縫うことになって、私は部屋から出されました。

病院の廊下で待っている間に、仕事中の夫にハングアウト (GoogleのLINEみたいなアプリ) で知らせました。娘は絶対泣くだろうと思っていたのですが、泣かず……驚きました。今考えると娘も恐怖で固まってしまったのかも。

施術が終わってまた部屋に入れてもらえたので娘を抱っこしてたくさん褒めて、支払いなどを一通り終わらせて、追いかけてきてくれた娘のお友達とお母さんをタクシーで駅まで送って、家に帰りました。

家に着いてすぐに娘が寝たので、娘の額に貼られたガーゼをずらして見てみたら、黒い糸で7針も縫われていて本当にかわいそうなことになっていました。

これでまた変なスイッチが入ったというか何というか。

娘の気持ちに寄り添えなかった

娘が寝ている間、私は縫った傷がどう残るのかをネット検索しまくりました。

女の子の顔に縫った傷あとがあるなんてあんまりです。せめてできるだけ綺麗に治ってほしい。

縫った直後なら形成外科で縫い直せると知って、行ける範囲の美容形成外科を調べました。

それを夫に知らせたときの返事 (ハングアウト) がこれでした。

「 (娘の名前) が耐えることができるかな? 」

この返事を見て、すごくショックを受けました。私は娘に、「ケガを縫った次の日に、もう一度同じ傷を開いて縫い直すのに耐えろ」と考えていたということだからです。

私が私の気持ちを優先に動いていて、その場にいなかった夫の方が娘の気持ちを考えていることに気がついたからです。

娘本人は気にしていない

『インターネットで検索した結果』は、検索した人が望む結果しか出てきません。

娘の気持ちに寄り添おうと考えてからの検索結果は、これまでと全く違いました。

このブログのコメント部分を読んで、泣いてしまいました。

「傷あとを気にされているのはお母さん」ですが、「傷あとを持っているのはお嬢さん」です。 そのお嬢さんが「あまり気にされてない」のであれば、今はそっとしておくのが良い事だと思います。

お母さんが「傷あと」を気にしすぎると お嬢さんの傷あとに対する気持ちがお嬢さんに伝わり、お嬢さんも気にし始めることになります。せっかく気にしていなかったのにです。 今は、我慢して経過を見ていてください。

確かに、娘の傷があとになることを気にしているのは私で、2歳の娘が今気にするとは思えません。

娘が年ごろになって気にするようになったら、合うコンシーラーやファンデを探したり、形成外科に一緒に行けばいいこと。

今はせめてシミにならないように傷保護テープを貼るなど娘に負担なくできることを、私の気持ちとして続けています。

反省

結局これは、精神的な余裕がなくなると発達障害の特性が強く出てしまうという話なのだと思います。

考えることと行動することを分けることで、普段はそれなりに暮らせている (と思っている) のですが、分けられなくなるとすぐに自分が優先になってしまいます。

ズレた行動をやめるには、私がアドバイスを聴けるかにかかってくるのですが、これも精神的な余裕がなくなると難しくなります。

できるだけ早く「私は今慌てている! 」と気づくことがものすごく大事ということですよね。慌てていることに気づいて、はじめて落ち着けるので。

また、一度に入る情報が多かったり強すぎたりすると、考えられなくなることも問題です。

これは「こうなったらこうする」を色々想像しておく (想定内にしておく) ことが対策になりますが、発達障害の特性で先が読めないので限界があります。やっぱりできる限り早く落ち着く方がまだ現実的かな。

自分の感情に気づくのには、ずっとゼロ秒思考の方法 (ひたすら書く) を使っています。でもこれは今回のようなすぐに動かないといけないときは、少なくとも私には役に立たないことがわかりました。当たり前ですが、メモなんてできる状況じゃない。

スポーツ選手のメンタルトレーニングの本を以前読んだので、読み返してみようと思います。こちらの方が近そうな気がします。

あとそもそもケガをさせないための対策として、保育園で先生に相談したら「お散歩のとき園児が必ず帽子をかぶるのは、ケガ防止のため」とのことだったので、今さらながら冬物の帽子を買いました。

できれば、こういう状況には二度となりたくないです。自分がケガするよりも、子どもがケガをする方がつらいです。

まとめ

実はこのケガは一か月ほど前のことです。ごめんなさいと思うばかりで客観的に考えられるようになるのに時間がかかりました。

娘を無事に育て上げられるのか不安になってきましたが、やってしまった取り返しのつかないミスは繰り返さないように具体的な対策を立てていくしかありません。

ちなみに娘本人は救急車に乗ったのが嬉しかったそうで、今もときどき話してくれます。傷は「先生にピッタンコしてもらった」そうです。傷自体を気にしている様子は今のところありません。

ただ外で転ぶのが怖くなったようで、抱っこすることが増えたままです。これは仕方ないと思うので、できる限り抱っこしています。

娘、本当によくがんばってくれたと思います。

それでは。