春のパン祭りのお皿はモラハラ夫を持つ母を救っていたのかもしれない
こんにちは! くずなつ (@kuzunatsu) です。
春のパン祭りの季節です。ご存知ですよね?パンにはってあるシールを集めて、白いお皿をもらうヤマザキパンのキャンペーンです。
これがはじまると毎年思い出すことがあるのでまとめてみます。両親のことです。
私の父はモラハラだった
私が父のストレス解消用サンドバッグだったことはときどき書いていますが、母にはモラハラを沢山していました。
具体的なことは沢山あるのですが、一番は母を専業主婦にしていたことです。
あっ、専業主婦がみんなモラハラを受けていると言っているわけじゃないよ。なりたくない人に強要したのがモラハラということです。
私の母は、家族の成果を自分の成果と思えない人です(私もそうです)。
夫がよい仕事についていることや子どもの成績がよいことは母がどれだけ貢献していたとしても母の満足につながりません。
母自身が社会に直接認められたかったんです。
時代背景的には、夫が妻に専業主婦になってくれという話はよくあったことだと思います。でも、自分が働くことで社会に評価されたい女性にはつらいよね。
父の決めゼリフと「節約」
父がよく言っていた決めゼリフがあります。
「誰が食わせてやってると思ってるんだ」です。
自分の希望で妻を専業主婦にして子どもを作っておいて何を言っているのだと、自力で食べられる今の私ならつっこめますが、当時はつっこんだら多分死ぬので黙るしかありませんでした。
「じゃあ自分で自分の生活費を稼ぐようになろう」と子ども心に思っていました。
当時、父はそこそこの年収がありましたが、山を衝動買いしたり、株で損したりして余裕はなかったそうです。当然生活費への締め付けがありました。
ここでやっと春のパン祭りにつながります。
実家で使っている食器は、春のパン祭りと100均のものばかりでした。
割り箸を洗って再利用していたし、家は床がフワフワで抜けそうだったし(シロアリ)、貧乏なんだと思ってたけれど、父が目につく範囲で「節約」を指示していたようです。
ちなみに離婚は、子ども(私以外)が泣いて止めました。私は賛成した記憶があります。私だけがサンドバッグだったので。
春のパン祭りのお皿の思い出
春になると、母がシールを集めて白いお皿をもらってきました。
母がそういうのが好きなんだと思っていましたが、たんに買うお金がなかったようです。
家族の人数分のお皿がもらえるだけのシールを期間内に集めるのは無理なので、毎年2〜3枚ずつ違うデザインのお皿が増えました。
ちなみに、春のパン祭りのお皿は今みたいにシンプルではありませんでした。100均のお皿もシンプルではなかったです。花柄のポットや炊飯器が家に残っていた時代の話です。
家族でテーブルについたときのそれぞれの食器は、にぎやかなデザインでバラバラでした。
それが当たり前だと思っていたけれど、母は同じお皿を人数分そろえたかったと大人になってから聴きました。
母にとっては、ちゃんとした食器を買いたくても怒られるだけで買えなくて、怒られずにそれなりの食器を手に入れる手段だったのです。
なんだかすごく悲しいと思ってしまいます。
でも、私の母のほかにも、モラハラ夫を持った妻には春のパン祭りをたよっている方がいそうです。生活必需品が抽選ではなくて必ずもらえるのは、ありがたいよね。
春のパン祭りは福祉なんだ……!(考えすぎ)
母は一番下の子どもが小学校を卒業したあとに父に反抗して働きはじめました。専業主婦のあいだに独学で資格を取りまくったのが役にたったようです。父は勉強することには反対しない人なので、そこが唯一のスキだったのです。
思い出すキッカケ
なぜ毎年そんなことを思い出すのか。
私の夫がシールを毎年集めて、一枚だけお皿をもらってくるからです。こういう全員プレゼントが好きなようで、パスコのトートバッグも毎年もらってきます。
私も雑誌の全プレが好きだったので、気持ちはわかります。
でも、一枚だけのお皿は収納しづらいし使えないのに、喜んでいるから捨てづらいです。たまに夫の食器として使います(通じないイヤミ)。
今年も集めているのを発見してしまいました。しかもお皿1枚分貯まってる!
まぁ、こういうのをネタにする程度には笑っているので、場所をとられる以外は大した問題ではないです。
ちなみに、母は60代の今も専門職としてイキイキと働いています。父は定年退職してからわりと穏やかな雰囲気になりました。父はもとから話ができないし生活能力もないのでボケても誰も気づけなさそうですが、今の方が幸せそうです。
現役中はおそらく、大黒柱であることがつらかったのだと思います。
それで子どもに暴力を振るうのが許されるかというと全然別の話だけれど、状況は想像できます。
夫にしか話したことがない本当にどうでもよい話で、まとめてみた私がビックリでした。
それではまた!