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「苦労してなさそう」「人生が楽でずるい」と私が言われる理由が分かった

水滴が涙っぽい? こんにちは! くずなつ (@kuzunatsu) です。

私はこれまで、「苦労してなさそう」や「人生が楽でずるい」なんて親しい人から言われることが何度もありました。

妹にも言われたのですが、妹は私が父に殴られるところを毎週見ていたわけで、なんでそんなこと言えるの!?と思っていました。

つい最近、理由がわかりました。

どうも私の言葉と態度の表現が一致していないからのようです。ひどい目に遭ってつらいと言っていても、余裕そうに見えるんだって。

わかったきっかけ

きっかけは、産業カウンセラー養成講座で、私が相談者の回の録音を聞いたことです。

産業カウンセラー養成講座の実習では、カウンセラーの卵同士で相談者役とカウンセラー役に分かれて相談しあって、カウンセラー役の対応のよしあしを検討します。

つまり、相談者が何を言ったことにカウンセラーがどう対応したかをチェックします。

相談者は何を話しても良いのですが、私はこの時、仕事はつらいし、子供はイヤイヤ期だし、精神的肉体的に限界に近いことをグチりました。

実際にそのころは、「ストレスが原因で人生で1回だけなる」という帯状疱疹という病気になったところで、もうほんとつらかったんです。

でも、録音された声はすごく元気そうで、つらそうには聞こえませんでした。

まだ余裕があるようにしか聞こえなかったんです。

非言語コミュニケーションが「普通」とずれている

心理学だと、言葉と態度にズレがあった場合、態度が本当だといわれています。「嘘は目に出る」というやつですね。

つらいと言っていても、態度が余裕そうだったら、余裕だと受け取られてしまいます。

家に帰ってから夫に聞いてみたところ、「まだ余裕がありそうだし大丈夫だろうと思っていると、突然ダメになる」ように見えるそうです。

うつ病になった時がまさにそのパターンでした。周りにつらいと訴えても誰にも伝わりませんでした。

周りが松岡修造氏ばりの熱血はげまし系ばっかりなんだと思っていたけれど、まさか自分の態度の問題だったとは。

ズレの理由はなんだろう

何でズレるのか気になるところです。

自分をよく見せようとしている?

最初、自分をよく見せようとしているのかな?と考えたのですが、その割には話を一切盛っていなかったんです。

事実しか話していないし、第一、つらいとハッキリ言っているんです。

自分をよく見せようとしていたら、こんな大変な時でも頑張っている自分カッコイイ☆という話し方をしますよね。

なので、私の場合は違うと思います。

発達障害の症状?

次に考えたのが発達障害の症状、特に社会性の障害によるものかな?でした。

私は診断はADHDですが、ものすごいストレスがかかると今考えるとASD傾向のこだわり行動が出ていたことがあります。ASD傾向がゼロとは言えません。

ただ、カウンセラーの勉強をしているうちに同時にわかったことがあって、人の話を聴く態度には問題がないようなんですね。表情や話し方などは適切だそうです。

自分の話をするとき限定でズレてる。

脳障害からくる社会性の障害というには、都合が良すぎるような。

何かしらの自己防衛?

人に迷惑をかけたくないのかも

人に心配させないポーズをとるクセがあるのかもとは思いました。

私は、人に迷惑をかけたくないという思いが強いです。

これまでのブログの記事の中でも、負担は人に掛けずに自分にかけるとか、社会人として生きていく中で正直、無理をするクセがついています。

「口ではつらいと言っているけど見た目は元気そう」という段階を越えると、うつ状態になっていきなり動けなくなってしまうので、ギリギリまで無理をしているんだと思います。

いきなり潰れると人に余計に迷惑をかけるので、小出しにしてるつもりだったんですが、まだ全然できていないみたい。

恥の意識とか二次障害とか

人に迷惑をかけたくないという意識がどこから来るかなんですが、そもそも対人関係でロクな目に遭ってないから、人に助けを求めたり、内面を話すのが苦手です。

自分のことを話したり、自分のことを話されること自体に恥の意識がないとは言えない。

少なくとも子供のころに、自分の考えを否定されずに受け入れてもらったという記憶はないので、言っても仕方ないとかそういう気持ちはどこかにあります。

何と言っても肉親に殴られるという経験は、人を信じられなくなるには十分すぎました。

つらくないと認識するため?

「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」という言葉を聞いたことがありますか?

私は子どものころ、家族の中で殴られる役割でした。父のストレス解消用のサンドバックが、私の家庭での存在意義でした。

殴られてもヘラヘラした態度だから、ダメージを受けてないんだからもっとやってしまえと父に思わせることに成功していたのでは?

つらいことを自分にも人にもごまかせたから、殴られる役割を10年以上果たせたわけです。

父に人格否定されたときに、本気でダメージを受けた態度をとっていたら、父は私を殴らなかったかもしれない。母が止めてくれたかもしれない。

平気そうにヘラヘラしている私を見て、妹も姉には余裕があると思っていた。

妹には「お父さんに殴られていたお姉ちゃんよりも、全く相手にされなかった私の方がつらかった」とも言われています。それ、どっちもつらいよね。比べる必要あるかな?

このあたりに関して母からは、「それ(父に殴られること)が、あなたとお父さんとのコミュニケーションの取り方だと思った」と言われたことがあります。これは、ここまでの推理を肯定する言葉ですね。

歪んだ家庭だねーとしか、今となっては思わないや。関わらないのが一番です。

まとめ

この文章を書いていて、40歳が見えてきてもまだ子どものころの後遺症が残っているのか、と思いました。

不満やつらさや怒りを溜めて、ある日突然爆発したり潰れたりするのが迷惑極まりないのは経験して知ったので、小出しにするように気をつけています。

余裕があるうちに小出しにすれば、言い方に気をつけられるし、周りから見て全然マシなんですよね。

でも、小出しにしようと気をつけているのは意識の上のことなので、出してはいけないと無意識に抑える部分が残っているようです。

気づくことで初めて修正できるようになるので、気づくのはほんとに大事です。

それでは!

今回も音声入力してみました。構成をしっかり作らないと話せませんね。話すのはやっぱり苦手です。