空気が読めない!『無意識に先が読めるか』はADHDと普通の人の一番大きな違い
こんにちは! くずなつです。
前回、じゃんけんすら勝てないくらい先が読めないという記事を書きました。考え方に元ネタがあるような気がして探していました。見つけた。
発達障害を専門とされている、ご本人がADHDの精神科医の方の記事です。だいぶん前から勉強させていただいています。
今回は、この記事から空気について考えます。
空気が読めないとはどういうことか
先が読めない=空気が読めない
前回のわたしの記事の中で、気になっていた文章がありました。
先を見通すためには、これまでの情報を一通り持ってそれらを組み合わせて予測する必要があります。
わたしはこのとおり、先を読むためにいちいち考えます。でも、数人に聞いたことがあるのですが、普通の人たちは発達障害者のわたしと比べて意識的に考えている量が絶対的に少ないのです。
思い出した記事では、この違和感に対してこう書かれています。
多数派の人は考えて導き出して選んでいるのではなく、空気から逆に自動的に コントロールされている面がある
多数派=私の言う普通の人のことです。空気から逆に自動的にコントロールされている面がある……考えていないんだから、そういうことになりますよね。
また、普通の人たちに対するADHDの考察は以下です。
ADHDは「意識」のレベルで頭の中に理論を組み立て、いちいち意味や合理性を考えながら ひとつひとつの行動を自分で考えて導き出して行動する必要がある。
これは空気が読めないことの「結果」として自分で考えるようになったわけであり、その イメージから多数派を想像はしにくいだろうということだ。
先を読んだ行動ができないのは、空気が読めないということなのですね。
また、わたしは前回の記事でこう書きました。
ADHDは空気は読めるので、人間関係での失言や仕事を失敗したとき、やっちゃったのには気づきます。
つまり、上記と合わせて「空気を読む」には2種類あることになります。
- 起きたことに対して周りの評価を感じること
- 意識的に考えずに次の行動を周りに合わせること
わたしは1はできる(と自分では思っている)、2はできません。経験と考えることでカバーしています。すみませんカバーしきれないこともあります。
ごめん、空気読めるとか書いていたけど、読めているのは半分だった。
無意識の集団行動
さらに、「2.意識的に考えずに次の行動を周りに合わせること」について、すごくわかりやすい例が挙げられています。
「無意識に集団行動する」という部分のイメージが、先に書いたニシンの群れなど をコントロールしている「無名の群れ」の行動様式であったりすると考えると、理解しやすい。
なるほど、群れで泳ぐ魚が意識的に次の行動を考えて動いていたら、群れから外れますよね。考えずに集団行動するとはこういうことか。
わたしは学生のころ、移動教室で最後まで教室に残っているタイプでした。最近受けた娘の1歳6か月検診で、久しぶりにほぼ最後まで残ってしまいました。これって群れで動けない=空気が読めていないということなんですね。
最後の絵本のボランティアさんの話が面白かったので熱心に聞いていたのですが、普通の人は無意識に周りを見つつ適当に切り上げているということか。
面白い話は聞きたいのですが、そうもいかないのか。それも寂しいな。
片方しかできないのはつらい
もう一度挙げます。「空気を読む」には2種類あります。
- 起きたことに対して周りの評価を感じること
- 意識的に考えずに次の行動を周りに合わせること
ADHDの人は自己評価が下がりやすく心の病気になりやすいと言われます。
これって、群れで動けないのに周りの評価だけ感じることができるという特性から来ているのではないでしょうか。
群れで動きたいのに動けない。でも周りから冷たい視線は感じる。これが毎日繰り返される。病みますよね。
・群れで動く必要はないと確信している
または
・周りの評価に気づけない
なら、生きるのがどれだけ楽になることか。
海外に行くと楽だよという記事を書きましたが、これは「群れで動く必要はないと確信」できる環境だから楽になるということですね。
また、チームスポーツをしてきた体育会系の人たちは、群れるだけではなくて「群れて戦略的に先を読んで動ける人たち」という意味で、私たちとは真逆の人たちということになります。
一番大きな違いで、一番責められやすく、一番頻度が高いつらさだと思います。
正直に素直に生きるとは具体的に何か
わたしは前回の記事で、先が読めないなら正直に素直に生きるしかないと書きました。この「正直に素直に生きる」とは具体的にはどうするのか、きちんと記事にできるほど考えがまとまっていないので、すぐできることをひとつだけ書きます。
ADHDは考えながら動くことが苦手です。
話すよりLineやメールが好きです。考えるのと行動を切り離せるから、話すよりはコミュニケーションがとりやすい。
でも、普通の人たちより考えすぎで、しかもこれまでの経験から悲観的に考えるクセがついています。そのため人から来たメールに悪意が含まれていると思って読んでしまうことがあります。この文章はいやがらせなんじゃないか、とかね。
はっきり「これはいやがらせです」と書かれていることは滅多にないので、実際はわからないんです。単に言葉足らずなだけかもしれない。誰に対してもぶっきらぼうなメールを返す人なのかもしれない。いやがらせかもしれないけど。
そういう微妙なメールの返事に、まずは正直で素直を装ってみるのをお勧めします。
悪意を返さずに、ただお礼を書いてみる。
深読みできる表現にはせずに、ただ心配してみる。
相手が悪意で送ってきていた場合は、効かなかったかと思うかもしれない。もしかするといやがらせを送って悪かったなと思うかもしれない。
悪意があって送っていなかった場合は、ただ普通の返事が返ってきたなと思われるだけです。
悪意のないメールに悪意のある返信をしてしまうのを避けられます。
どう見てもいやがらせに読めるときも、「わたしは大人だな」と思いながら深読みせずに正直に素直な返信を作文してみる。これを続けていると、人の感情が伝染して気分が悪くなるのを避ける練習もできます。
心当たりがあるなら、ぜひ一度やってみてくださいね。わたしはこれに気づいてから、実感できるくらい人間関係が改善したので、随分ひねくれて受け取っていたんだなと気づきました。
ちなみに、こういった微妙なラインではなく本当におかしい人からは逃げるしかないです。誰が聞いてもわかる暴言とか、暴力とか。自覚がない、または開き直っている発達障害者も逃げるしかないと思います。それが家族でもね。
わたしは父親から逃げましたが、後悔はないです。
まとめ
いろいろ書きましたが、わたしは心理学の専門家ではなくただのアラフォーのおせっかいおばちゃんです。考えることは好きですが、ADHDなのでどうしても浅いし、マミートラックにはまっているし、ADHD当事者としての経験から言っているだけです。
最近さすがに心理学を勉強したくなってきました。子育てにも役に立ちそうだし。実はひとつ申し込み済みだったりします。
心当たりがあって信じられる人だけやってみてもらえると嬉しいです。
それでは!